ピンポーンとチャイムが鳴って一拍、玄関の戸を引きあけるガラガラという音が響いた。
その時僕はちょうど洗い物の最中で、家主がだらしないせいで溜まった脂の固まった食器やら、調理器具やらと挌闘し両手泡だらけの状態だった。
スポンジ片手に、中断して玄関に向かうべきか逡巡し、とりあえず「はーい」と大声で返事を返した。
普段から仕事熱心とは言えない家主兼経営者は、今は僕の隣で取り込み中で、チャイムの音に気付いているのかどうか、とにかく客を出迎える気はなさそうだった。
応接間でテレビを見ているはずの神楽ちゃんが迎えに出てくれたとしても、任せっきりにするわけにもいかない。
諦めて手を濯いで玄関に向かおうと思っていると「ごめんください」と誰も出ないことに痺れを切らした客の声がした。
それがよく聞きなれた声だったので、その声に反応してタタタッと神楽ちゃんが玄関に走っていく足音がした。
とたん、玄関がにぎやかになる。
客が仕事の依頼人でないのに甘えて、僕は残りの洗い物をすましてしまおうと、次の洗い物に取り掛かった。
銀さんはと見ると、真剣にオーブンに向かっている。
面倒くさがりでズボラなくせに器用なところを発揮して、台所では甘い香りが漂っていた。
よく考えれば、客が依頼人でなくてよかったなんてことあるはずがない。
昨日から仕事らしい仕事はしていないのだから。
ざっと水を流して、手早く洗った食器をすすいでいくと、客、桂さんと神楽ちゃんが台所に顔を出した。
こんにちは、と言う桂さんの声をまたず、
「銀ちゃん、ヅラが子連れで押し掛けてきたアルヨ」
認知するアルカ?と神楽ちゃんが目を輝かせている。
「はぁ?」
思わず銀さんと僕の声がハモった。
見ると、桂さんは丸く膨らんだ風呂敷包みを抱いていた。
まさか。
ていうか認知って、誰と誰の子であっても恐ろしいんですけど。
神楽ちゃんの言葉にも表情を変えない桂さんの顔は女の人みたいに綺麗で、でも中身は真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐで男らしいのは知っている。
けれど、それ以上に、なまじこの人なら、自分で産んだとか言い出しそうだと思ってしまうくらいにオカシイ人なのも知っている。
僕は思わずその風呂敷包みを覗き込んだ。
目があった。
風呂敷からは、確かに顔がのぞいている。
オレンジ色の鮮やかな肌に、ぽっかりと開いた目と鼻と口。
大きなオレンジ色のカボチャは最近、ハロウィンの飾りとして街中で見かけるようになった。
どこかの星のお祭りだそうで、中身をくりぬいたカボチャに顔を彫って提灯にしたものを魔除けとして飾るのだという。
桂さんの持ってきたカボチャも綺麗に中身をくりぬかれて、ニヤリと笑った目とギザギザの口が付いている。
底は丸く切り取られていて、本当ならそこから蝋燭を入れるらしい。
今日はそのハロウィンの当日で、子供は「お菓子をくれなきゃイタズラするぞ」と言って近所の家を回る日らしいから、そう言って桂さんは
いつものお土産とは違って、わざわざ小さな袋に詰めた飴菓子を一つずつ僕と神楽ちゃんにくれた。
袋には可愛くデフォルメされたお化けの顔が付いている。
絶対これ桂さんの趣味だよね。
チャラくさいアル、と言いながら神楽ちゃんも嬉しそうだ。
僕たちがそうやって話しているところに、一段落ついたのか、銀さんが台所から出てきた。
「ヅラ、てめぇなんで勝手に人んち来てんの?」
「せっかくなので子供たちにジャックを見せてやろうと思ってな」
「ジャック?」
「このカボチャの名前ネ」
「知らんのか銀時」
遅れているぞ、と言う桂さんにイライラしたように銀さんは乱暴にソファに座る。
「知るかよ。攘夷志士のくせに、天人の祭りに被れてんじゃねーよ」
「そう言うな、それに貴様が作ったくせに」
「そうなんですか?」
「あぁ、カボチャは俺が仲間に貰ったのだが、包丁の扱いはあまり得意ではないのでな。銀時にやってもらった」
なかなか上手いだろう?と桂さんの言うとおり、街で見かけるカボチャみたいに、それはどこか愛嬌のある顔をしている。
「今日の会合で飾っていたのだが、捨ててしまうのには忍びなくてな」
「それなら、せっかくだしウチに飾たらいいんじゃないですか、ねぇ銀さん?」
ポン、とテーブルに置かれたジャックをたたく。
中身をくり抜いたカボチャは結構いい音が鳴った。
「どうせなら中身を寄こすネ」
神楽ちゃんはこれは食べれないアルカ、とジャックを手に持ってその固さを確かめているようで、放っておくと今にも齧りつきそうな様子だ。
「リーダー残念ながら皮は食べられない。その代わり中身なら……」
そう言いかけたところで、ピーッと台所から音がした。
銀さんがいったん台所に戻って、オーブンで焼きたての菓子を手に戻ってくる。
さっきから部屋中に充満していた匂いの正体も、ハロウィンにちなんだお菓子だった。
ツヤツヤとした黄色いカボチャのパイから甘い匂いが漂う。
お茶を淹れに立つと、机に置いたパイを囲んで、カボチャの中身は前に銀さんに渡しており、それでこのパイを作ったのだと話しているのが聞こえた。
緑茶とお皿を持って戻ると、銀さんがパイを切り分けている。
三角形になったパイは、断面も鮮やかなオレンジ色だった。
「食ったな」
唐突に言った銀さんに、三人ともがきょとんと顔を上げた。
みんなでいただきます、と銀さんの作ったパイを食べ始めたばかりだ。
確かめるように言ったその顔はじっと桂さんを見ている。
「どうしたんですか?」
銀さんが妙に真剣な顔だったので思わず尋ねる。
いつもなら甘いものは一番に手を付けるのに、今日はまだ皿は手つかずのままだった。
「いや、べつに」
そう言って、何もなかったように銀さんも自分のパイにフォークを突き立てる。
「さすが銀時、やっぱり美味いな」
桂さんは気にしてなさそうに満足そうな顔をしている。
パイは甘すぎないで、やさしいカボチャの味がした。
銀さん自身は、甘さが足りないだの、やっぱ生クリームがのってないとパッとしないだのとぶつぶつ呟いている。
8等分してあったパイは、それぞれ一切れずつ食べて、残った半分を神楽ちゃんが平らげた。
甘いものを食べて、お腹と共に満たされた気持ちになる。
それなのに、なぜか穏やかじゃない人が一人いた。
「食ったら、とっとと帰れ。ウチは忙しいんだよ」
食べ終わるや否や、銀さんがお茶をすすっている桂さんを急かす。
神楽ちゃんが非難の声を上げるのも聞かず、桂さんを玄関まで追い立てる。
「さっさと帰れ。帰ったら家から出んな、大人しくしてろ」
そう玄関で叫ぶ声が聞こえて、銀さんが一人で部屋に戻ってきた。
「銀さん何もあんな追い返すようにしなくても」
だいたい仕事も碌に無い万事屋が忙しい訳がないのに。
テーブルには桂さんが置いて行ったジャックだけが残っている。
「私もっとヅラで遊びたかったアル」
「あーはいはいまた今度ね」
「銀ちゃん、自分だけお土産貰えなかったから拗ねてるアルカ?」
「違うっつーの、それよりお前ら見たな」
「何をですか?」
「ヅラがパイ食うとこ」
「そりゃ見ましたけど。ていうか今さっき全員で食べたとこじゃないですか。ほとんど神楽ちゃんが食べてましたけど」
「よし、ならもしシラを切りやがったらお前らが証人だから」
「はぁ?」
意味がわからなくて、僕は神楽ちゃんと顔を見合わせる。
「おい神楽、カボチャの残り煮た奴があるから。今日はそれもって道場に泊まってこい」
「どうしたアルカ銀ちゃん」
「いつの間に」
今度こそ二人して驚いた。
いつも適当な銀さんがわざわざ晩御飯まで気に掛けるなんていつにない面倒見の良さだ。
わけが分からない僕らの前で、銀さんは一人さっさと何やら支度をしている。
「つーわけで俺は今から出かけます」
そう言うと、いつもの木刀を持ってさっさと玄関に向かう。
「ちょっ、銀さんどこ行くんですか?」
「パチンコ。今晩は帰らねぇから」
「帰らないパチンコってどんなんですか!」
「淫モラルな匂いがするネ!」
黙って目をそらす様子に、さすがにうっすらと銀さんの考えてることがわかった気がした。
用意周到さと、そのくだらない情熱に呆れて思わずため息がでる。
所詮イベント事なんて子供のためなんかじゃない、大人が勝手に楽しむものなんだ。
「戸じまりはちゃんとしとけよ」
そう言って出て行った後ろ姿に、爛れた大人の世界を見たようで何とも言えない気分になる。
振り返ると、神楽ちゃんがジャックを頭に被っていた。
「神楽ちゃんそれ、被るものじゃないよ?」
「ふん、大人なんてそんなもんネー」
とわかったような事を言うのにまた一つ僕はため息をついた。
帰りついてすぐ、今度は逆に訪ねてきた銀時は何ださっき別れたばかりだろうがと、出迎えた桂に鼻歌交じりでトリックオアトリートと得意げな顔で言ってやる。
「何だ貴様忙しいと言っていたではないか」
何しに来た、と尋ねる桂に今度は日本語で分かりやすく繰り返す。
「お菓子くれねぇと悪戯すんぞ」
「子供か貴様は」
桂は呆れたように言うけれど、そんなことでは引き下がらない。すでに手は打ってあるのだ。
「なぁヅラ、俺はさっきお前にお菓子あげたよな」
「あれは元々は俺のカボチャだろう」
「お前のは野菜、オレのはお菓子」
そう言うと、桂が悔しそうに顔をしかめた。
「貴様、太らせてから喰らう算段か」
「いいねそれ」
イタズラ。なんて男心をくすぐる単語か。
こんな美味しい機会を逃すものかと追い詰める俺に後ずさりして、桂は何かを探すように部屋に視線をさまよわせる。
けれど、甘いものを特別好むわけでもない桂のもとに、お菓子の類が常備してあるとは思えない。
「あ、酢昆布なら……」
「却下」
ここは断然、甘いモノじゃないと。
和室の敷居をまたいだところで、桂の細い手首を捕まえた。
さぁどんなイタズラをしようか。