夜7時を過ぎて少しした頃。
集会所の裏口からひっそりと抜け出して、人通りの少ない裏通りからネオンの眩しい繁華街へ、桂は無秩序な人の流れに紛れた。
今の住処までは歩いて十五分ほど。
ここのところバタバタと他の党との会合続きで、その住処に帰る機会さえ少なくなっていた。最近の寝不足と疲労がたたったのか、ネオンの映る瞼が熱い。
歩きながら一度キツク目を閉じて、指先で目頭を揉んで、顔を上げて驚く。
目の前にスクーターに跨った銀時が人の流れを割くように立っていた。
ハンドルに凭れる様に肘をあずけて、
「そこの刀差した物騒なお兄さん」
エンジンをかけたままのスクーターに跨ったまま、ずるずると地面を足で漕いで近づいてくる。
「乗ってかない?」
「物騒なお兄さんではない」
桂だ、と皆まで言わせず銀時がヘルメットを投げて寄越した。
「乗れよ。あんま時間ねーし」
どうでもよさそうに投げやりに言うくせに強引、いつものことだった。


銀時はどこに行くとも言わないし、桂も眠いとも疲れたとも言う気にならず、大人しく銀時の後ろに跨って、スクーターは夜の街を走り出した。
銀時は万事屋へ行くわけでも、桂の家へ向かうわけでもなく、繁華街を抜けて国道へ、しばらく走って、そしてまた市街へ出る。
いつのまにか桂には馴染みの無い場所を走っていたけれど、距離と方角でだいたいの現在位置くらいは見当がついた。
数十分走って、着いたのはおそらく二つ隣りの町外れ。
住宅と商店が立ち並ぶ界隈を抜けて、辿り着いたのは明かりの消えたビルの傍。
ポツンと灯った街頭の下に銀時がスクーターを止めた。
桂が降りると荷台にヘルメットを放り込んで、銀時は代わりに中に入っていたスーパーの買い物袋を取り出す。
ゴロリと音がするので、袋の中にはそれなりに重いものが入っているらしい。
暗いビルを見上げると、四階建てのビルはどこも空き部屋のようで、壁面に取り付けられたテナント名を示す看板は全て白紙のままになっていた。
唯一埋まっているのはビルの名前が表示されたプレートで、その名前についた地名から、ここが桂の予想通りの場所であることが分かった。
とはいえ、なぜこんなところに連れてこられたのは依然謎のままだ。
ビルに向かう銀時に着いて行くと、建物少しへこんだ影に多分裏口だろう、ビルの大きさに似合わぬスチール製の小さなドアが現れた。
ノブを回すとドアはすんなりと開いて、その奥に先の見えない暗い廊下が続いている。
「ほう、鍵が開いているのか」
思わずそう漏らすと、肩越しにちらりと物言いたげな顔で銀時が振り向いた。
入るとすぐ壁沿いに階段が設えてあり、先に建物に入った銀時が階段を昇って行くので桂もその後を追う。
照明の消えたビルに、壁面の窓から差す街灯の明かりが階段を照らしていた。
薄暗い中に目を凝らすと、建物自体はそう古くはない様で、目立つ破損は見当たらない。
「使われていない割には綺麗だな」
「だからって、隠れ家にしようとか考えんじゃねーぞ。今は改装中で開いてるだけだから」
あと一ヶ月もすれば、改装作業が終わって店が入るのだという銀時の話を聞いてがっかりする。
無人のビルならば、色々と便利に使えると思ったのに。
何かあったときに身を隠すとか、幕府の犬どもに見つかるとまずい集会を開くとか。
それを残念でした、と笑い飛ばして、万事屋が工事の仕事を請け負っているためこのビルを知ったのだと銀時が言った。
そうやって階段を昇りきった二人の前に、またドアが現れる。
後ろから覗き込んでいると、やっぱりそこも鍵はかかっていなくて、軋むドアを押し開けると二人は屋上に出た。
風に乱れた髪を押さえつけて、空を見上げると一面の星。
ネオンの余計な光が無い分、月と星だけで空がずいぶんと明るく見える。
さっきまで居たかぶき町ほど栄えていないこの街では、この程度のビルは高い方の部類に入るらしく、見下ろせば眼下に瓦葺の屋根が並んでいた。
「こっちだっけ」
屋上に出るなりうろうろと歩き回っていた銀時が呟いて、向かいの手すり越しに外を見渡している。
何かを探すような素振りに、何をしていると尋ねようとして、「あ」と銀時がこちらを、桂の方を見て声を上げた。
次の瞬間、後ろからドンと空気を振るわせる大きな音が響く。
「え?」
振り返ると、いっぱいに開いた大輪の花火が空に浮かんでいた。キラキラと輝く光の欠片が赤から金色に色を変える。
その形が崩れ落ちる前にまた次の華が咲いて、一拍遅れて桂の元に音が届く。
夜空に次々と色とりどりの花が咲き乱れるのに、しばし言葉も忘れて見入っていた。
わずか十分ほどのことだった。
その光の洪水が止んで、花火の上がっていた方角を改めて見渡すと、屋台の列と思しき橙の明かりの連なりが見える。
それなりの数の屋台が並んでいるようだから、花火は終わりではなく中断しただけでまた上がるのかもしれない。
耳を澄ませると、町の雑音に混じって祭囃子と人の声が風に乗って届く気がした。
手すりから祭りの明かりを見下ろしていると、後ろから銀時の歩み寄ってくる気配を感じる。
振り返ると、いつの間に開けたのか、缶ビールを片手にすぐ後ろに立っている。
袋の中身はそれだったらしい。
「知ってた?」
「いや……」
知らなかった。最近は江戸に居ないこともあったりで、忙しさのあまり祭りのことなどすっかり頭から抜け落ちていた。
「ん、そういえば、かぶき町の夏祭りは……」
「あんなもんとっくに済んだっつーの」
銀時が顔を顰めて今月の初めだと言うので、そう言われれば花火の音を聞いたような気がしなくもない。
「行ったのか?」
「行った。神楽が連れてけって煩ぇから」
だからしょうがなく、とわざとらしく嫌そうな口調で言うのを、すっかりお父さんだなと笑ってやれば銀時は不本意なようでますます顔を顰めた。
「よかったではないか。貴様にあんな良い子供達など、もったいないほどだ」
「んなわけねーだろ!お前、あいつらがどんだけ……」
言いかけてやめた銀時が、桂の隣にやってきて手すりに乱暴に肘をついて夜の街に目をやる。
その横顔を見やって、桂もぼんやりと花火の止んだ空を眺めた。
しばらくして「あのさぁ、」と横からかけられた声に振り返る。
相変わらず銀時は町の方を眺めている。
「お前も、たまには花火くらい見なさいよ。無粋な奴に大事は成し遂げられねぇんだろ?」
「そうだな……」
桂は銀時の言葉を反芻して、しかし、日本の夜明けのためには成さねばならぬことが山積みでなかなかそうもいかんのだと言うと、
銀時がわざとらしく溜息をついて空になっていたビールの缶を力任せに握りつぶした。
へこんだ空き缶を乱暴に袋に戻して、代わりに新しいビールを取り出してプルタブを開ける。
その様子に、 「腹までお父さんになるぞ」
そう言って、銀時の手からビールを奪い取る。
一気に呷ると、炭酸が喉を焼いた。
空には満点の星、銀時の視線を頬に感じた。
「あいつらが、ヅラも呼べって煩せーの。なのに、お前はどこにいんのか分かんねーし」
銀時の言葉を聴きながら、むりやり生ぬるいビールを飲み下す。
「責任持ってお母さんやれっての」
缶を唇から離して、ほっと息をつく。
口の中に苦い味が広がった。
中断していた花火が、また上がり始める。
胸が熱くなって、花火を見上げるふりをして目を逸らせた。
思い浮かんだ言葉を全部飲み込んで、今日は一緒に帰る約束をした。