夕七つを知らせる鐘が鳴った。空は西の方から茜色に染まり始め、すれ違う大人たちが心なし足を速めたような気がする。
「あーあ、結局行くだけ無駄だったな」
「俺はけっこう面白かったけど」
「俺も、工場とか初めて行ったし」
通りを行く子供たちが道に長い影を伸ばしながら話しているのは、さっきまでいた工場の話だ。振り返れば、長屋の屋根の向こうにそびえる建物の黒い影が見える。
「帰って感想文書かないといけないんだよなぁめんどくせー。お前、万事屋とパトリオット工場と、どっちで書く?」
そう聞いた方も聞かれた方も、うーんと頭を悩ませる。今日は工場長の半生を見せられただけだし、万事屋はカルカタを飲みながら社長がパトリオットを作っているところを見学しただけ。これで感想文を書くなんて至難の業だ。しかも感想文は後日みんなの前で発表することになっている。
「女子は今日花屋の見学に行ったんだって」
「マジで?俺らも着いていけばよかったなぁ。しょーがねぇ、どこか別の工場見学しに行ったことにしようぜ、俺の母ちゃんパート行ってるけど、工場なんてどこも似たようなもんだって言ってた。パトリオットとかダセェよ」
「ダサいっていうか、そもそもパトリオットって何?」
結局誰も分からないままだった。分からないというか、トイレットペーパーとティッシュと棒でできた何かでしかないことが分かったなどと歩きながら話している脇を、冷たい風が吹き抜けていく。
「おい、もう帰ろうぜ」
「えぇー帰るには早いって。まだ四時だよ、ケンちゃんちで金八先生の再放送見ていこうぜ。帰ってもまだ母ちゃんパートから帰ってきてないし」
まだ帰るには惜しい。けれど外に居るのは寒いしすぐに暗くなる、もう少し誰かの家に避難して行こうかとみんなの意見がまとまりかけたとき、
「あ、ドッキリマンシール貰ってない!」
そんなことを誰かが言い出した。



子供たちが帰った工場。土方は近藤のストーカー行為さえもみ消せたら後は用は無いとばかりに二人して早々に工場から引き上げ、残った者たちは反省会ならぬ愚痴大会を開いていた。
子供たちにベルトコンベアーから蹴り落とされた銀時は、落ちた拍子に床で打ちつけた腰をさすりつつ、最近のガキはと顔を顰める。
「まぁこれでガキどもに労働の厳しさってもんを教えることができただろ」
「そうですか?大人のダメさしか伝わってない気がするんですけど。先生やPTAから苦情きますよこれ」
天井からつるしていた長谷川を床に下ろし、翼を取り外しながら新八が溜息をつく。
「新八君、俺たちはやれるだけのことをやったよ!俺が思うに、最近の子は想像力が欠如してるね。だから人の家を勝手に壊したりするんだよ」
「お前のは家じゃなくて段ボールアル」
「ふん、苦情でもなんでも言ってきやがれ、先生も親も普段は偉そうにしてるけど実際はそんな大層なもんじゃねーんだよ。いわばこれも一種の社会見学だよ東方攻略指揮官」
「誰が東方攻略指揮官ですか」
「設定がグダグダだったのがいけないアル。しっかりしろよ東方攻略指揮官」
神楽の指摘に、いつの間にかセーラー服からいつもの着物に着替えていた月詠も頷く。
「パトリオットの歴史と工場長のくだりが矛盾していたからな」
「僕が指揮したんじゃないですから、文句なら銀さんに言ってください。そういえばいつの間にかズゴマンダ族長とか関係なくなってましたよね。パトリオットも工場長が考案したことになってたし」
「あれは伝統の技をヒントに、最終的には工場長が完成させたんだよ」
銀時が負けじと言い返すのに、へぇそうですかと新八は適当に相づちを返す。どのみちパトリオット自体がゴミ扱いされていたので問題はそんな所じゃないだろう。
「やっぱりパトリオットは元の形のままにしとけばよかったアル」
神楽が初代パトリオットをムシャムシャと頬張りながら、こんなにティッシュとトイレットペーパーばっかりあってもしょうがないアルと言う。
「バカおめぇこんだけの肉買おうと思ったらいくら掛かると思ってんだよ。そんな金がどこにある」
「酔っぱらって夜中にツナギとか僕らのスーツとか色々買ってくるお金はあるみたいですけどね。これ万事屋の経費で落としませんからね。ていうか、すごいペラペラなんですけど僕の服、これロフトとかで売ってるパーティーグッズか何かでしょう?」
チャーリーとチョコレート工場をパクるためにわざわざこんなもの買うって、完全に無駄遣いだと思うんですけどと新八に冷たい目をされて銀時は言葉に詰まる。
「う……お、俺の金だもんいーじゃん!こうして使ったから無駄じゃないし」
「そんなことはちゃんと僕らにお給料払ってから言ってください」
「そうアル、お肉買う方がよっぽど有意義ネ!」
初代をすっかり骨にして、神楽は今度は戦国時代のパトリオットにかじりつきながらもう片方の手ではしっかりポテトも確保している。その隣でアヤメはこの後チキンセットを神楽に買ってやるのと引き換えに図吾麻呂のパトリオットを獲得していた。
「やったぁ!銀さんの食べかけパトリオットは私のものよ!誰にも渡さない、一生大事にするわ!」
「いや大事にしても腐りますから、早めに食べてください。まったくダメな大人ばっかりだよ……」
新八の言葉も聞こえていないのか、アヤメはいそいそとティッシュペーパーでギトギトのチキンを包装している。
「ぱっつぁんよぉ、ガキが見学に来るときだけとりつくろってどうするよ、そんなもんが勉強になるか?」
「社会見学全否定ですか」
「逆の場合を考えてみろよ、授業参観だって親の前でだけ教師とガキが示し合わせていい子のフリしてんだよ。あんなもん茶番じゃねーか」
「いやまぁそうですけど」
確かに、授業参観の時だけ手あげる子とかいましたけどね。先生もその時だけやけに優しくて。
「だろ?そんなもんなんだよ。参観日も社会見学も意味なんてねぇんだよ、子供ってのは普段の大人の背中を見て育つもんだ」
「ふむ、銀時の言うことも一理あるな」
「月詠さんまで……」
「わっちも晴太に情けない姿は見せられぬ」
月詠の言葉に、新八も晴太のことを思い出した。吉原は子供にとってよい環境とはいえないけれど、それでも母親や仲間に囲まれて彼はまっすぐに成長している。
「大事なことは俺たちの普段の行いでガキに示していけばいいんだよ」
「……そうですね」
晴太も今日工場見学に来ていた子供たちも、周りの大人達の背中を見てまっすぐに成長してほしい。
「ということで社会見学終わり。ハイ解散―!」
家に帰るまでが社会見学だから、てめぇら浮かれてねぇでまっすぐ帰れよと、銀時の号令が工場に響いた。



「中真っ暗だけど、本当に行くのかよ大五郎」
「あたりまえだろ」
ケンちゃんもヒロシも怖かったら帰っていいけど、と大五郎は辺りを憚って小さな声で話す。
「怖くはないけど」
招待状に書かれていたドッキリマンシールを貰っていないことを思い出して、三人は家に帰るというメンバーと分かれて工場へ引き返してきた。連れだって再び工場の入り口までやってきた少年たちがは、本当に行くかと互いに顔を見合わせて頷く。今さらドッキリマンシールが貰えると期待しているわけではないけれど、工場に戻るという事自体に心惹かれるものがあったのだ。
ここまで来る間にとっぷりと日は暮れてしまった。街灯の明かりが照らす地面に、工場前で撃たれた二人の女の血痕が残っている。
入口のシャッターはまだ上がったままになっている。しかし工場内で機械の動いているような気配はしない。明かりは入口に煤けた黄色っぽい電球が一つ灯っているだけで、中の廊下は真っ暗だった。外から見ると、一番奥の、位置的におそらくベルトコンベアーがあった機械室と思われる部屋にだけ明かりがついているのが見えた。
終業時間を過ぎて機械を止めているのか、それとも本当は普段からこの工場は稼働していないのだろうか。パトリオット工場なんて聞いたこともないから、自分たちを騙すためだけに機械を動かしていたのかもしれない。
「せっかくだし、ここ探検してみようぜ。万が一見つかっても、こっちは招待されたんだから大丈夫だろ」
スリッパに履き替えて、暗い廊下を覗き込む。明日だと鍵がかかってしまうかもしれず、そうなると忍び込むのは難しくなる。それではつまらない。
まだ誰かが工場内に残っていることは確実で、大人に見つからないように電気は付けずに暗い廊下を三人で固まって進む。歩くたびペタリペタリと鳴る足音と、乱雑に積まれた荷物の黒い影が三人を驚かせた。
しばらくして、三人はパトリオットの歴史を紹介していた部屋に辿り着いた。パトリオットの生みの親の写真の前に置かれた皿からはパトリオット、という名がつけられた肉が姿を消しており、『食べられません』と骨だけが残っている。
「やっぱりパトリオット工場なんて嘘みたいだな。なぁここ俺たちの基地にしようぜ」
「秘密基地だな、俺たちすげぇ!」
きっとこんな秘密基地を持った奴は寺子屋にも他にいない。明日行ったら自慢しようと興奮するのを抑えて、三人は探検を続ける。見つかれば最後、追い出されるに決まっているので、電気のついていない部屋から順にのぞいてまわる。他の部屋は埃をかぶった荷物が放置されているだけで、もちろんドッキリマンシールも見つからなかった。
そしていよいよ、最後に機械室を残すのみとなった。暗い廊下の突き当たり、ドアについた窓から内部の明るい光が洩れて四角く廊下を照らしている。中に居る人物に気づかれないように、三人は屈んで室内がよく見える大きな窓の付いた壁側に回り込んだ。
そしてこっそりと、並んだ窓の縁から中をのぞく。
「いた!工場長だ!」
従業員は皆帰ったようで、部屋の中には工場長が一人残っていた。あと工場長さえ帰れば中に入れるかもしれないと、がぜん三人の期待が高まる。
「もうちょっと待ってみようぜ」
そうすれば、あの大きな機械を自分たちが動かすことができるかもしれない。そう思うとワクワクした。ベルトコンベアーが動き出す様子を、間近で見てみたい。
「実は俺、ベルトコンベアーに乗ってみたいんだけど」
「あ、俺も俺も」
中にきこえないよう小声で話していると、三人の耳に廊下を歩く足音が聞こえてきた。
「ヤバい、まだ誰かいたんだ!」
隠れろ!と慌てて柱の陰に身を潜ませる。見付からないように息をひそめて、近付いてくる足音に耳をすませた。



「どうだった?」
機械室のドアを開けて、近付いてきた姿が首尾はどうだと問うのに、銀時はどうもこうもねぇよとダルそうに頭をかいた。
「大失敗。ガキにバカにされて終わったっつーの。あーマジでヅラの言うことなんて聞くんじゃなかった」
工場見学のそもそもの発端は、実は子供たちが帰った後万事屋にやってきた桂が部屋に転がっていたパトリオットでいつものように勝手に妄想を膨らませたことだった。
その時は聞き流していたのだが、腐った気分を晴らすために桂と共に馴染みの居酒屋で飲んでいる間、桂に工場長の妄想を切々と語られて、酔った頭であまりに一生懸命なその様子がなんだか可愛いとか思ってしまったのが間違いの始まりだった。
目に涙なんか浮かべて、貴様は素晴らしいものを作ったなんて言う桂の言葉についうっかりその気になってしまって、パトリオット制作秘話(というただの桂の妄想)を子供たちに示すべく、酔っぱらった勢いのまま二人でせっせと今日の社会見学の準備を整えたのだった。
「だいたいパトリオットって何?」
「パトリオットはパトリオット以外の何物でもない。工事と父の想いの結晶だ!銀時、貴様は素晴らしいものを作りだしたのだ、誇りに思え」
「いや素晴らしいってどこが?どう見てもこれ、ただのゴミだし」
実際いくつかは子供が道に捨てたものを回収してきたものだ。
作った本人ですらガラクタだと認めているのに、いつの間にやら桂の方が頑なにパトリオットをかばっている。銀時の方は、既に大量に買い込みすぎたトイレットペーパーとティッシュをどうしようかと考えている。ちり紙交換の親父なら買い取ってくれるだろうか。
邪魔になるからとりあえずこの工場に置いておくとして、と考えていて銀時はふと疑問が湧いた。
「そういやここ何の工場?」
普段使われていないにしては電気も通っているし、機械も故障していない。異様に長いベルトコンベアーは一体なにを製造するためのものなのだろう。
「もしかしてここもお前らの隠れ家か何か?またここで爆弾でも作ってんの?」
「まさか、俺もただの廃工場としか聞いていない。昔は電化製品でも作っていたのではないか?それにしても失敗とは、俺の計画では感動のラストで子供たちも涙するはずだったのに。銀時、貴様きちんとシナリオ通りやったのか?」
「やったって。ていうか俺ほとんど寝たままベルトコンベアーで運ばれてただけだし」
「ふむ、ではやはり工事の妻の出番が無かったのがいけなかったのではないか?工場長を陰で支える妻の健気さが人々の涙を誘うのだ」
力説して桂がぐっとこぶしを握る。
「いちおう聞くけど、それ誰がやるの?」
「もちろん俺だ。それにほらここに指輪もあるぞこうちゃん、ダイヤモンドは永久の輝き」
実はしっかりと女装済みの桂が、小豆色の着物から伸びた白い左手をすいと銀時の目の前にかざす。その薬指には透明な石の付いた指輪がはまっていた。
蛍光灯の光を反射して輝く石を目の当たりにして、内心なんでそんなの持ってるんだよと思いながら銀時が目を眇める。
桂がそういったものを貰うシチュエーションは容易に想像できた。特に今みたいに女装している時は、かまっ娘倶楽部にでも顔を出せば指輪を渡したがる男は一人や二人じゃ済まないに違いない。
だからって受け取らなくてもいいだろうデリカシーの無い奴、と銀時は自分の甲斐性を棚に上げて不貞腐れる。
「その格好、今日もこれから仕事とか?」
「これは日本の未来を担う子供らのために一肌脱ごうと用意してきたのだ。芋侍どもがいたせいで出番が無かったがな」
忌々しげに眉をしかめる桂に、その指輪の贈り主を確かめたかったけれど、銀時はストレートに聞けるような素直な性格はしていない。そんな自分にイライラしながら、でもやっぱり気になるので銀時は回りくどく指輪について尋ねてしまう。
「……本物?」
「ドンキホーテで870円」
「買ったのかよ!」
おもちゃにしたって安い。その辺の屋台にだってもっとマシな偽物が売っているだろうに。焦らせやがって、と内心ほっとする銀時と対照的に、桂は些か不満げな顔をする。
「こういうのは値段ではないのだぞ。込められた気持ちが大事なのだ」
「うっせーよバカ」
指輪の件が取り越し苦労だと分かり、機嫌が良くなるのを自覚して銀時は自分の単純さに呆れつつ、ついでに、ガキのために脱ぐ暇があったら俺のために脱いでと上機嫌で続ける。
「脱ぐって、ここでするのか銀時?……神聖な職場だろう、こうちゃん」
「どっちなんだよ。あ、もしかしてダンナの職場とかいう設定の方が燃える?」
そう言って、銀時は桂をひょいと抱えあげると機械の上に乗せる。ぶらりと足の付かないベルトコンベアーに腰をかけて、桂がペンキのはがれかけた天井をぐるりと見回した。
「燃えるというか、こういうところは何だか秘密基地みたいでわくわくするな。ほら俺たちも昔作っただろう、秘密基地」
「ん?あぁそういや作ったかな、今思えばすごいショボイやつだけど」
桂に言われて思い出す。銀時と桂がいくつか作った中でも、一番上出来だったのは使わなくなった馬小屋を改造したもので、授業が終わるなりそこに飛んで行って時間を過ごした記憶がある。
「色々やったよなぁ」
「懐かしいな。小さな基地だったが俺は、俺たちだけの秘密というのが嬉しかったものだ」
その頃を思い出すように、桂が淡く笑う。
もう立派な秘密基地を持っているくせに、桂は愛おしそうに所々黒ずんだ鉄の塊を指でなぞる。
ベルトコンベアーに流されるどころか、濁流のように流れる時代に逆らって立ってる細木みたいな生き方してる奴を、指輪一つで捕まえられるとも思えない。
機械を弄っている桂の無防備な左手を捕まえて、薬指からパチものの永久を引き抜く。リングは既にメッキが禿げかけていた。
「ホントちゃちいな、さすが870円」
「なんだ焼きもちか?」
「そんなんじゃねーよ」
「だろうな」
機械に腰かけたまま見上げる桂が、面白がるような、それでいて少し残念なような意味深な表情で笑う。銀時は指輪をポケットに突っ込んで、何その反応、と濃く色づいた唇に口づけた。



足音の主はこちらに気づかずに、真っすぐ機械室の中へと入って行った。そろそろと中を覗き込むと、さっきまで一人だった工場長のそばに小豆色の袷を着た女が一人立っている。
「うわ、すっげぇ美人」
中にいたのは、思わず目を見張るほどの妙齢の美女だった。
「でもなんか工場っぽくないよな、ちょっとケバいし」
「旦那を迎えに来たんだろ、やるなぁあの工場長」
中では二人が中睦ましげに話している。さっき見つからなくてよかった、これで二人が一緒に帰ってくれれば無人になった機械室に忍び込むことができる。
「早く帰らねーかな」
しかし、迎えが来たのだからすぐに帰るだろうと思っていた期待は裏切られることになった。
出てくるまで待っていようと廊下に座っていると、一人中を覗いていた少年が「あ、」と声を上げた。
「どうした?」 
その声に、同じように室内を覗き込んだ二人も驚いて目を見開く。
部屋の中では、工場長が女を機械の上に押し倒していた。
「おい、すげぇな」
「お、おいお前ら女のあそこってどうなってんのか見たことある?」
「ない!かーちゃんのも見たことねぇもん」
「俺も!」
目の前の光景に、ごくりと唾を飲む。戻ってきてよかった、少年達にとって目の前の光景はベルトコンベアーなんかよりも断然興味のあることだった。
心臓を破れそうなほどドキドキさせながら、三人そろって窓にかじりついた。



「ヅラぁ、一回きれいにする?あんま汚すとヤバいよな」
まさか着替え持ってきてないよな、と問う銀時に桂は気だるげに頷く。暗いから分からないかもしれないけれど、ここから染みだらけの着物で事後の惨状を晒しながら帰るのは避けたい。
はだけた白い体の上を二人分の体液で汚した桂に、「落ちんなよ」と銀時は声をかける。二回戦はもう少し後でだ。
ティッシュもトイレットペーパーも売るほどあるが、どちらも今手の届く範囲には置いて無かったので銀時は無精してポケットに何かないかとダメもとで手を突っ込んでみる。出てきたのはレシートと10円玉が三枚だった。
「あれ、これっていつのやつだっけ?」
やはりポケットティッシュの類は入っていなかったので、銀時は大量にあるボックスティッシュを取りに行きながらさっきのレシートを見返す。
明細に載っているのは衣服3980円、パーティーグッズ2500円、食品1400円、そしておもちゃに870円。
「あ……」
「どうした?」
その瞬間、昨夜の記憶がよみがえった。思わず漏れた声を桂に拾われて、慌てて「いや何でもない」と誤魔化す。急にポケットが重くなった気がした。
まざまざと思い出される自分の所業に、恥ずかしくてもう一回忘れてしまいたいと思えど、そう簡単に記憶を操作することができるはずもない。小銭と反対側のポケットには銀時のもとに帰ってきてしまった永久の印がある。
桂に背を向けているのを幸いに思い切り顔をしかめながら、銀時はポケットの中のそれをどうしようかと頭を悩ませる。
その時、窓の外から物音を聞いた気がした。



ようやく体を離した二人に、窓から食い入るように覗いていた三人もやっと窓から離れた。
「すっげー……」
窓から離れても、さっきまで見ていた光景が脳裏にチラついており、とぎれとぎれに漏れ聞こえてきた掠れた甘い声が頭の中で反響している。
肝心なところは男の体が陰になってよくは見えなかったけれど、男の背中にしがみつく白い腕や絡みつく細い足は、まるで男を離すまいと絡みつく蜘蛛のようにいやらしかった。
綺麗な顔を紅潮させ苦しげに眉根を寄せるのも、自分に覆いかぶさる男のことを見る何ともいえない表情も、いけないものを見た背徳感となって胸の内でぐるぐると渦を巻いている。
「あっ!」
「うわっ」
突然、まだ窓から機械室を覗いていた少年が大きな声を出し、驚いた拍子に大五郎は肘を窓ガラスにぶつけてしまった。トン、と響いた音にマズイと焦る。
「おい、急に大声出すなよ」
小声で文句を言ってみても、当の本人は部屋の中を覗いたまま目を見開いて凍りついたように固まっている。
「どうしたんだよ……」
何をそんなに、とその視線の先をたどろうとして、中で男がきょろきょろと辺りを見回しているのが目に入った。さっきぶつけた音が聞こえてしまったのかもしれない。
「おい、ばれたかも!逃げようぜ!」
「………」
「俺、今立てないんだけど……」
一人は未だ固まったままだし、もう一人の方は股間を抑えてうずくまっている。大五郎は「早くしないと見つかるだろうが」と両手で二人を無理やり立たせ、そのまま引きずるようにして廊下を引き返す。


こうして社会見学は幕を閉じた。一人の少年の心にトラウマを残して。




<終>