日が傾いて、これからかぶき町に人が増え始めるという時間帯。鼠とそれを追うノラ猫しかいないような薄暗く寂しい路地裏に二つの人影があった。
「やっと見つけた」
人目を避けてそんな道を選んで歩いていた方が、じり、と地面を踏む自分以外の足音に気づいて振り返った。
ビルの隙間から見える細長い空は上を紺に、 下を橙に塗られ、人の形に西日が切り取られている。いつの間にかほんの数メートル後ろまで男は迫っていた。
「相変わらず逃げ足速ぇーのな」
「俺が真選組の前でのん気に倒れてなどいられるわけがなかろう」
桂が影の中に銀時の姿をみとめて目を細める。
「さすがは銀時、このイボだらけの世界で自我を保っているとは並大抵の者では不可能だぞ」
「なにそれ、向上心ないって言いたいの?俺の向上心はちょっと人より分かりにくいだけです」
「褒めているのだ。今度のことで、やはりこの国を変えるためには貴様の力が必要だと改めて確信した」
「へぇ、ゴリラじゃなくて俺でいいの?」
「当然だろう」
俺にはお前が必要だ、そう言って桂が距離を縮める。少しだけ低い位置にある黒い双眸が銀時を見上げた。
黒い髪が赤い夕日を反射している。頬も目も朱色に染まった桂に、銀時は手を伸ばし、
「げ、マジで無くなってるし」
うわぁとマジで、と顔をしかめる銀時の掌は桂の股の間。
挟んでんじゃねーよなと銀時が桂の平らな股間を擦る。
どうなってんのこれ、と驚きと興味と嫌悪感が全部一緒くたになったような、複雑な表情でペタペタと無遠慮に体を触る銀時の手を桂は払いのけた。
「どこで気がついた?」
そう言って、見慣れた顔が微かに眉間に皺を寄せる。
「いくらイボでも、残念ながら新八にテメェは倒せねェよ」
寄生型エイリアンに乗っ取られた神楽やお妙、真選組の面々は新八がイボを退治することによって本来の姿を取り戻し、 銀時が屋上へやって来た時には揃って元の姿で気を失っていた。
そしてイボを倒した新八自身のイボも、銀時がツッコミを入れたことによって潰れている。
それらの面々を残して、気付けば桂の姿だけが屋上から忽然と消えていたのだ。
ピチピチ十代の神楽なんかと違いこの年になれば二年後といえど外見などそう大して変わりはしない。
「つーわけで、テメェはイボだ。観念して潰されやがれ」
そう断言する銀時に、桂が舌打ちする。
「待て、この体、試してみたくはないか?」
どうだ、この姿で宿主の倍は気持ちよくさせてやるぞ?この体を味わってみてからでも遅くはないだろう、 そう言って桂の顔をした生き物が蠱惑的な表情を浮かべる。
桂の顔は銀時の好みだった。
二十数年見て来て、たぶんこれからも死ぬまで見飽きる事がないくらいには。
普段の桂からは見られないような、故意に欲情を誘う扇情的な姿は確かに銀時の煩悩を直接刺激する。
しかし、
「いや、でもお前イボじゃん」
あっさりと言って銀時は目の前にあった桂の頭を思い切りはたいた。
「痛ッ、ちょっ、貴様自分の恋人に対して酷いぞ」
「誰が恋人だ、お前ただのイボだろーが」
仮に本物だとしても、普段から遠慮なく殴っているので今更イボ相手に躊躇する理由がない。
桂の方は惹き込んだと思った男が態度を変えたことに憤る。
「貴様っ!この姿をそう気安く殴るか!」
「いつも殴ってるし。それに俺、積極的な女って好きじゃないんだよね」
そう言って、トドメに一発殴ったところで『ぼん』と小さな破裂音がして一瞬桂の姿が消える。
瞬き一つする間に、銀時の足元には桂が倒れていた。
気を失って倒れている姿はさっきまでとは変わりないように見えるが、その傍には小さなイボが落ちている。
「はぁ……ったく、昔っから人一倍向上心が強いからなぁコイツ。その分人一倍寄生したイボも成長してやがったってか」
ほんと、迷惑な奴と呟いて銀時はその場にしゃがみ込むと、二年分若返った桂の頬を撫でた。

      *

たんたんと心地いいリズムに揺られながら桂は目を覚ました。揺れる度に頬をくすぐられるようなこそばゆい感触がする。
「ん……」
「あ、起きた?」
目の覚めた桂の眼前にはくるくると跳ねた銀髪が広がっていた。
「銀時……?あれ、ヅラ子はどうした?」
「ヅラ子って?」
「ヅラ子はヅラ子だ。……あぁそうか」
銀時に尋ねたくせに、何事か思い出したように桂は一人で納得している。
寄生していたイボを倒したものの、気を失っていた桂をその場で放っておくわけにもいかない。
   銀時は桂を背負いさぁどこへ向かおうかと微妙に遠い万事屋を思ってげんなりしていたところで桂が目を覚ましたのだ。
「銀時が倒してくれたんだろう、ヅラ子を」
「お前覚えてんの?」
桂の言葉に驚いて銀時が肩越しに振り返る。ニュースでは、寄生されている間の記憶は残らないと言っていたのに。
目を覚ました者は皆、一様に寄生されていた間の記憶が曖昧になると聞いていたのに。
「覚えている。確か、数日前に正体不明の生命体が突然髪の先に現れたのだ……」
その時点ではまさかそれが寄生種のエイリアンだとは桂も思わなかった。
「あっという間にそいつが成長し、俺の体は見る間に小さくなっていった。 しかしすっかり俺に成り換わったソイツの話を聞いてみると、なんと腐ったこの国を革命したいと言い出してな……」
国を変えようなんて半端な向上心じゃない。イボにとっては最高の宿主だったことだろう。
そして近藤や九兵衛の様子からすると、寄生したイボは宿主の想いに大分影響されるらしい。
「つーか、なんでイボと会話してんだよ、怖ぇよお前」
「イボというか、まるで双子の弟でも見ているようだったぞ。あ、タマを取ったから妹か?」
「体乗っ取られといて呑気なこといってんじゃねーよ。だいたい双子なんてなぁ、外見が似てたって中身はキャバ嬢とヒッキーくらいバラバラなんだよ。 片方が片方に寄生して生きてんだよ」
「しかし攘夷の道は厳しいゆえ、使えるものは使いたい。奴が真選組を再起不能にしてくれると言うので任せてみたらこうなった」
「こうなったって、お前なぁ」
こうってのは、テメェのツラしたイボがゴリラの子を産むことかよと銀時は苛々する。
「うむ、確かに男を操るには色仕掛けが一番だ、しかし俺がやったら銀時、お前が怒るだろう?」
おぶわれたままいけしゃあしゃあとそんな事を言う桂に、こいつもう地面に落してやろうかと思う。
本物の方が残念ってどういうことだろうと、銀時は溜息をつく。銀時の背中を温めているのは今度こそ間違いなく本物の桂で、背中にちゃんとその証拠品もあたっている。
「あ、銀時ゴリ子はどうなった?あの子は大江戸動物園から借りてきた子だからちゃんと今日中に返さねばならんのだ」
「知らねぇよ、今頃ゴリラの隠し子として屯所で育てられてんじゃねーの?」
何、それは急いで取り返さねば、母娘をいつまでも引き離しておくのはしのびないと耳元から聞こえる桂の声はつくづく呑気なことばかりを並べたてて銀時を脱力させてくれる。
「あーあ、こんなバカほっときゃよかった。せっかくだし俺もあのイボとヤッときゃよかったかな……いやでもイボだしな、イボ春だと思うと萎える……けど外見だけはアレだしな」
「なにがアレなのだ?」
「アレはアレだよ。イボの方がテク有りそうだし余計なもん付いてねぇし、一回くらい試してみりゃよかったかもなぁって」
「貴様、俺に嫉妬させるつもりか」
「するの?」
「するに決まっているだろう」
拗ねたような口調で桂が言い、背中から回していた腕に軽く力を込めて、銀時の髪に額をすりつける。
「俺は嫌だぞ、あんなものに銀時を渡すのは」
銀時は背中からずり落ちそうな桂の体を揺すり上げる。すでに背負っている必要など無いことには二人とも気付いていたが、なんとなく口には出さないまま銀時は歩く。
「じゃあ我慢した銀さんにご褒美ちょうだい。余計なもん付いてるけど我慢するわ」
「余計とはなんだ失礼な」
行き先は決まった。
とりあえずは、一番近いホテルまで。