どこかの庭先にでも植えられているのか、ほんのりと甘い桃の花の香に鼻をくすぐられた。
ずいぶんと穏やかになった日差しの下を、のんびりとそぞろ歩く。
目的はあるような無いような、しいて言えば腹ごなしだった。
少々帯をきつく感じるのは先ほど寄った茶屋で鶯餅と桜餅を両方食べたせいで、隣を歩く甘味に目が無い男はその上花見団子までぺろりと平らげて満足げな顔で歩いている。
ぶらぶらと気の向くままに歩いていると目に映る街も人も、春の訪れと、先ごろの国を上げての祝い事に浮かれているようだった。
「はー……やっぱあの店の団子は最高だわ」
「だからといって饅頭2つに団子2本は食べすぎだ。それでなくても糖尿になると脅されているくせに」
「なるなるって、結局なってないし。だいたい俺が糖尿になるより先に、ヅラが本物になる方が早いんじゃねぇ?」
「ヅラじゃない、ヅラ子だ」
そう言い返せば団子の串を咥えたまま銀時が桂を見て顔を顰める。そんな恰好、とは桜色の紬袷のことだろうか。
最近では西郷の店に手伝いに行くこともなくなったくせに、それでも度々そんな姿で桂は銀時の前に現れる。
「これは人目を欺くための変装だ」
そう嘯く桂の手配書は今は街のどこにも張られてはいない。
「この格好をしていると、いつもならすぐに会議だなんだと口うるさい部下に見つかることが少ないのだ」
そう言って胸を張る桂に、それって欺くとかじゃなくて単に声かけたくないだけだろうと銀時は突っ込んだ。
「今も昔も、お前の部下にはほんと同情するわ。俺なら白昼堂々女装した上司に声を掛けるくらいなら転職を考えるね」
「オカマをバカにするとは、見損なったぞ銀時」
「いやオカマがどうとかじゃなくて、お前ほんといいかげん自分の立場とか考えた方がいいんじゃない?」
真っ当に諌めるような言葉を口にしながら、ならば今こうやって暇そうに隣を歩くこと自体を止めるのが道理だとは分かっているのだが銀時も、そして桂も気付かないふりを続けている。 成り行きで何度となく顔を合わせた桂の部下は、言いたいことは色々あるという顔をしながら、それでも一言「信用してますので」と銀時に言ってきた。
その時は一方的に信用されてもと、はぐらかしたんだったっけかと銀時がぼんやりと思い出している隣で、桂は俺の変装はすごいだろうと自慢げに笑う。
その顔に、変装はいったいどっちの方、と浮かんだ埒のあかない考えは、突然耳に飛び込んできた男の声で遮られた。


「アニキ!」
「お久しぶりです」と近付いてきたのは顔に傷と刺青のある、目つきの悪いいかにもごろつきといった風情の男だった。
その男は銀時の方へ駆け寄ってきてひどく嬉しそうな顔をしている。
「いやぁようやくシャバに出てこれましたよ!」
親しげに銀時に話しかけるその男に、桂はなにやら引っかかりを感じて何だったっけ、と銀時を見やる。
銀時の知り合いだろうか、とその顔を窺えば、
「えーーっと、ごめん誰だっけ?」
対照的に平坦な声と無感動な表情で返した銀時に、それは無いんじゃないのと男が声を荒げる。
「ちょっ、俺だって!あんた忘れたのかよ!監獄の中で俺達あんなに協力したじぇねーか」
「え、監獄とか何言ってんの?人聞きの悪い」
監獄という言葉にまた何かひっかかりを覚えながら、桂は先ごろの慶事に合わせて大規模な恩赦があったことに思い至った。
この男もその恩赦にあずかった一人だろうかと、薄情だとわめいている男に桂はじぃっと目を凝らす。
うん、やっぱりなんだか見覚えがある気がする。特に男の服の、ぎざぎざに千切れた袖の辺りに。 それにしても袖のとれたまま外を出歩くとは、もしかして気付いていないのだろうか。
こっそり教えてやるべきだろうかと考えていた桂の視線に気づいたのか、男がこちらを振り返る。
「ん?あんた」
「あの、」
袖が千切れてますよ、と桂が口にしようとしたところで、ふっと突然視界が遮られた。
暗くなった視界に、しかし焦ることもなく桂はすぐ後ろに立っている犯人を呼ぶ。
「銀時?」
「あんま見てんなよ」
手のひらで目を覆われて、視界を奪われた桂の鼓膜を少し不機嫌そうな銀時の声が震わせる。
「なんだ焼きもちか?」
「はぁ?」
そんなわけ無いし、と続く憮然とした声とその仕草を、けれどそれ以外の何だととればいいのか。
「俺は別に他の誰かと結婚したりしないから安心しろ。それに、なかなかに仲睦まじい様子だったぞ」
国を挙げての慶事、今日のテレビのニュース番組は朝から将軍様ご結婚の一色だった。
「アニキ、その女……っいてててて!」
突然聞こえてきた悲鳴に、思わず目隠しをずらして視界を取り戻せば男が銀時の眼つぶしにあっていた。
「見てんじゃねーよ」
「ちょっ、指!目に刺さってるって!……いててて照れなくてもいいじゃないすか」
「は?照れてないし。何言ってんの鰤」
「鯱!やっぱ覚えてんじゃねーかアンタ!」
「しゃち……?」
やはり記憶に引っかかる名前に桂が首を傾げていると、目をふさいでいた腕を肩に回して銀時が「行くぞ」と後ろからせっついてくる。
結局思い出せぬまま男の横を通り過ぎ、すれ違いざま銀時が男に言葉を放る。
「おつとめごくろーさん。じゃーな、今度はまともに生きろよ」
振り返ると、男の後ろに広がる空は青く晴れやかで、やはりどこからともなく桃の香りがしていた。


<終>