右手に一つ、左手に二つ、いっぱいに膨らんだ紙袋をぶら下げて銀時は石の階段を登る。 目指すのはその上にある神社の境内。予定の時間より少し遅れたかなと思いながら、 しかし待っているのは時間だけは有り余っていそうな者ばかりでそう厳しくも言わないだろうと歩くスピードをゆるめた。 家を出た時は肌を冷たく刺すようだった空気も、ここに来るまでの間にあちこち歩き回ったせいですっかり慣れてしまった。
一歩一歩、登るたびに両手に下げた荷物が揺れる。大きさの割に軽いのはその中身のほとんどが藁で、それ以外は少しの紙と、せいぜい蜜柑が二、三個入っているくらいだからだった。 その正体は正月の間各家の玄関に飾られていた注連縄で、役目を終えたそれらはどれも少し白っぽく色あせていた。
小正月を過ぎて、最初にくる休日の今日は町内の正月飾りを持ち寄って焼くという伝統の火祭りの日だった。 会場はこの階段を登った先の境内。祭といっても小規模な町の行事で、集まるのは企画している老人会と子供たちくらいだった。 子供たちは学校で書いた書き初めを焼きに、そして注連縄や書き初めを燃やした残り火で焼く餅を楽しみに集まってくる。
去年は神楽がかぶき町の子供たちと一緒に参加していた祭に、今年は銀時が向かっているのは老人会から万事屋に依頼が来たからだった。 依頼内容は、正月飾りを焼くために竹を組んだりという会場準備の手伝いと、祭りには参加できないものの正月飾りを火にくべてほしいという人の家を回って注連縄飾りを回収すること。
新八と神楽は境内の掃除のために先に神社へ向かっており、銀時はあらかじめ頼まれていた家を回って注連縄を集めてきたところだった。 しかし回収に思いのほか時間がかかり、すでに予定の時間を少し回ってしまっている。
境内からは集まっている人達の賑やかな話し声が聞こえてくる。 下を向いて歩くうちにずり落ちてきたマフラーを直して、あちらこちら欠けてでこぼこの石段から視線を上げると、見えたのはよく晴れた空に映える高く組まれた青竹だった。




「もう全て組み終わってしまったぞ」
そう言って差し出された掌に、銀時は無意識のうちに紙袋を一つ手渡した。
階段を登りきった銀時を迎えたのは、すでに大きな円錐型に組み上げられ、後は火を付けるのを待つばかりという状態の竹の塔と、それを囲む老人、子供、神楽に新八、そしてなぜか桂がそこに混じっていた。
「何してんの?」
言ったっけ、と空いた手で首にまとわりつくマフラーを緩めながら銀時が記憶を手繰っていると、桂は正月飾りを焼きに来たに決まっているだろうと当然のように言った。
「貴様が遅いから、代わりにリーダー達と竹を組むのを手伝っていた」
「あっそう、それはどうも。つーかその格好で?」
銀時がそう聞きたくもなるのは、桂がえんじ色の小紋を身につけて化粧までしていたからで、その姿は老人と子供しかいないこの場所で異様に目立っている。
「西郷殿のところで仕事だったのでな。ついでに店の御飾りも預かってきた」
明け方帰って、じきにまた出かけるのに化粧を落として着替えるのも煩わしいと言う桂の唇にはしっかりと紅がのっているので、出かける前に引き直したに違いない。 竹の組み上げを手伝ったためか襷で袂を絡げていて、その姿はどうにも全てがちぐはぐなはずなのに、銀時にはなぜかそれが妙にしっくりきている気もした。
桂は銀時から受け取った紙袋を覗きこむ。
「すごい量だな、何件回ったんだ?」
「あーたぶん、十五件くらい?」
そう言って銀時は、桂の足元にも紙袋が一つ置いてあるのに気がついた。
「それは?」
「これは書き初めだ」
「書き初め?」
桂は袋を取り上げると、党の新年会で今年の抱負をしたためたのだと中から紙の束を取り出した。 その中の一枚を開いて、ほら、と桂が見せた半紙には見慣れた桂の文字で堂々と『日本の夜明け』と書かれていて、左端には小さく桂小太郎と名前が書いてあった。
「お前たちはやらなかったのか?」
「やらねーよそんなもん」
「そんなことだから一年をダラダラと過ごすことになるのだ。正月くらい気持ちを引き締めて志を高く持ったらどうだ」
リーダーもいるし、来年は皆でやるといいと言うのを聞きながら、桂が出した半紙の束を捲っていく。 しかし書いてあったのは『世界平和』『家内安全』『発毛』『脱メタボ』……
「これ攘夷志士の抱負じゃねーだろ!ただのオッサンの抱負だろーが」
「そんなことはないぞ!身近な幸せを願うことが、ひいてはこの国を変えることにつながるのだ」
「発毛もメタボも繋がんねーだろ、どう考えても」
それぞれの書いた抱負を何とはなしに捲っていく途中、そのうちの一つに銀時の手が止まった。 そこに書かれていた文字は『桂小太郎』、しかもそんなものが3枚も続いている。
「なんだこれ?」
そう言って広げて見せると、桂もひょいとその半紙を覗きこんだ。
「あぁそれは、自分の夢を書くより俺の名前を書かせて欲しいと言う者がいてな」
「いや、お前の名前書くとか意味わかんねーし。攘夷志士なんだから国がどうとか書いときゃいいじゃん」
「まったくだ。夢の一つも書けぬとは最近の若者は情けない」
そう嘆く桂の声を聞きながら、銀時はその三枚の『桂小太郎』の隣に書いてあった名前を記憶する。しっかり自分の名前まで記してあるのがまた癇に障るのだ。
「テメェらのモンじゃねぇっつーの」
「なにか言ったか?」
「いいや」
そのうちオバQにでも聞いて顔を確かめてやろうと心に決める。
「さっさと燃やしちまおうぜ」
そう言って、持っていた半紙の束をくしゃりと握りつぶす。
そして、あとは俺達だけのようだと言う桂と共に、組んだ竹の根元に次々と注連縄や書き初めを放り込んだ。



最初くすぶっていた火はすぐに大きく燃え上がり、やがて竹全体が大きな炎に包まれた。
時折パチンと竹の爆ぜる小気味良い音が響き、竹の葉や、燃え残った半紙が熱風に煽られて空高く舞い上がる。
少し火の勢いが収まってくれば、その火で焼いた餅を汁粉に入れて振る舞われる予定だった。残り火で焼いた餅は無病息災を呼ぶと言われている。
まだ竹の先から空を焦がすように燃え盛っている炎をぼんやりと見上げている銀時のところへ、依頼を持ちかけた老人会の会長がやってきた。 銀時に仕事への礼を言うと、ところで、と会長が改まった様子で言葉を切る。
「あの人は銀さん達の知り合いかい?」
そう言って指さすのは、神楽や新八と一緒にお婆ちゃん達に混じって餅の準備を手伝っている桂だった。
「あぁ、まぁ知り合いっていうか……」
「あの人ねぇ、よく手伝ってくれたよ。あんな別嬪さんなのにえらい力持ちで皆びっくりしとった」
にこにこしながらそう言う老人は、女装した男だなどと思いつきもしないのか、桂のことを女だと信じ込んでいるらしい。 力持ちも何も男ですからねぇと言ってもいいものかどうか少し悩んで、銀時は言葉を濁す。
本来ならば銀時がやるはずだった力仕事も全て桂がやってしまったらしく、会長はえらく感心した様子で桂を眺めている。
「あ、そうだ。あいつが働いた分もウチに払っといてくれたらいいから」
桂の働き分万事屋の報酬が削られては困ると思ってそう言ってた銀時に、ほう、と会長が驚いたように目を丸くする。
「え、なに?」
「ってことは銀さん、あの話は本当かい?」
「あの話?」
尋ねられた銀時の方が、何のこと?と眉を顰めていると、今度は別の方からまた「銀さん銀さん」と声をかけられた。
声の方を振り返ると、さっきまで遠くで火に当たっていた老人が、いつの間にかそばに来てちょいちょいと銀時に耳を寄せるように手招きしていた。
「何だよじいさん?」
少し屈んだ銀時に向けて、こそこそと皺の浮いた手で口元を覆う。
「あの娘さん、銀さんのコレじゃろ?」
小指を立てて、老人はニヤリと皺の多い顔をさらに皺だらけにする。
「それにな、ワシには分かる。銀さんあの娘、あっちの方も素人じゃないじゃろ」
「はぁ?」
「おぉ、実はワシもそう思っとった」
「隠しとっても分かる。あの色気は夜の女に違いない」
一体何を言い出すのかと呆れる銀時の前で、老人たちは勝手に桂の話で盛り上がっている。 年寄りと子供ばかりの所に一人現れた謎の美女(に見えるのだから仕方ない)に実は興味深々だったのか、 いつの間にか近くにいたじいさん連中が皆銀時の周りに集まってきていた。
「銀さん、聞いたらあの娘さんもまだ独身だそうじゃないかい。あんたもそろそろ身ぃ固める時期じゃろうに」
「そうじゃよ銀さん」
「しっかりしとる様だし、だらしないアンタにはぴったりじゃ」
「ちょっ、なんでみんなしてヅラ押し!?」
言っとくけどアイツただのバカだから!そんなんじゃないから!と言う銀時にお構いなしで、話はいつも勝手な方向へ転がっていく。
「わしゃぁ、あんたら結婚するって聞いたがのぅ」
「おぉ、本当かい。そりゃあえらい別嬪さんを捕まえたなぁ」
こりゃあ目出度い良かった良かったと口々に祝福されながら、さっき会長が言いかけたあの話ってこのことかと銀時は慌てて口を開く。 この調子で噂なんかが流れでもしたらたまったもんじゃない。
「誰がヅラとっ……」
「ヅラじゃない、桂だ」
その声に、ぴたりと周りが静かになる。騒いでいたのが聞こえたのか、こちらにやってきた桂に、老人たちは互いに黙って目配せをかわした。
「どうした?」
「なんでもねーよバカ」
ちらちらとこちらを窺っている視線が痛い。余計なことを言われる前にと、そろそろ汁粉が出来上がるからと言う桂と逃げるようにその場を離れた。
後できちんと訂正しておこうと思いながら、急かすように桂の背中を押していると、
「さっきご婦人方に余った餅の食べ方を聞いた」
アラレなんて案外簡単に作れるそうだと桂が肩越しに振り返って、そろそろ鏡餅も消費せねばなんからなと桂が暢気に所帯じみたことを言う。
「お前あんま揚げ物得意じゃねーだろ」
「それはそうだが、銀時ならできるだろう?」
端から任せるつもりだったに違いない答えが返ってきて銀時は苦笑する。
「そんな心配しなくても、神楽に任しとけばいくらでも片付けてくれるって」
「それもそうか」
片側に流した髪の下から衣紋を抜いたうなじが覗いて、気づかれないように銀時はそっと溜息をついた。




残り火で焼いた餅は柔らかく、汁粉に入れると茶色くついた焦げが香ばしくて大変旨かった。 一杯目の汁粉を平らげておかわりを貰いに行くと、汁粉の残った鍋を再び火にかけながらお婆ちゃんが今日は御苦労さまと銀時に声をかけた。
どういたしまして、そっちこそお疲れさんと空になった器を渡して世間話をしていると、お婆ちゃんが急に「ところで銀さん」と声をひそめた。
「え、なに?」
「あの桂さんて人、銀さんの知り合いかい?」
その言葉に、内心嫌な予感がしながら「知り合いと言えば知り合いだけど……」と曖昧に答えると、二人の会話を聞きつけて他のおばあちゃん達もそばに寄って来る。
「もう長い付き合いなんだって?」
「はぁ、まぁ一応」
餅の準備をする間にいったいどんな話をしていたのかと思いながら適当に返事をしていると、 「ほら、ね、やっぱりそうじゃないの」 と銀時が渡した椀を持ったまま、お婆ちゃん同士で何やらこそこそと嬉しそうに話している。 そうしている間にも、待たされている鍋の中身はコトコトを通り越してグツグツと煮詰まっていく。
「銀さんのいい人なんでしょう?」
「いや、そんなんじゃねーから!」
汁粉の様子を気にしていた銀時は、さらりと言われた言葉に我に返って慌てて否定した。
「またそんなこと言って」
「朝から仕事だなんて働き者じゃないの。しっかりしてるしさぁ」
「銀さんにはぴったりだよ、いい人見つけたねぇ」
次々と浴びせられる言葉に、朝から仕事ではなく、朝まで仕事の間違いですと突っ込むタイミングも逃してしまった。 気づけば今度はお婆ちゃんの輪に囲まれている。女はいくつになってもかしましいという言葉を実感しながら、銀時は勘弁してくれと心の中で嘆く。
「大切にせんといかんよ」
そう言われて思わず返事に詰まる。そんな銀時に対してお年寄りの話はどこまでも長く続きそうで、それからはずっと逃げ出す隙を窺っていた。



「よこせ」
ようやく解放された銀時は、桂の持っていた椀を奪い取る。桂は取られた汁粉の残りにさして残念そうな表情も見せずに首をかしげた。
「おかわりを貰いに行ったんじゃなかったのか?」
それには答えずに、銀時は桂の椀に半分ほど残っていた汁粉に口を付ける。 その様子に、まぁいいと言って桂は置いてあった薬缶から茶を入れた。
甘い、半分ほど煮崩れていた小豆は口の中でほろほろと砕けていく。
桂は冷めて湯気もたたなくなった茶を一口啜ってほっと息をつくと、「ご老人達が」と口を開いた。
「お前は何かと親切で面倒見がよく、いつも世話になっていると言っていたぞ」
桂の言葉を聞きながら、銀時は思わず汁粉を飲む動きを止めた。
「ああ見えて、いざというときは頼りになるいい男だと褒めていた」
ちら、とそちらを窺うと、桂は汁粉を食べ終わって神社の裏で缶けりを始めた神楽たちの方を眺めていた。ふと、桂も銀時と同じような状態だったのかもしれないと思い当たった。
「いい男だから、結婚したらきっとよい旦那になると皆が言っていた」
銀時は冷めてもはや甘いだけになった汁をゆっくりと飲み干した。頬に、桂の柔らかい視線を感じる。
「さすがは銀時」
機嫌よさげに響く桂の言葉を聞きながら、口元を手の甲でぬぐう。
このままでは今に自分の脳みそまで甘い甘い汁粉のようになってしまって、とんでもない未来まで描いてしまいそうな気がした。
だから、その後「ところで銀時、貴様一体誰と結婚するつもりなんだ?」そう尋ねた桂に、銀時が空になったお碗を投げつけたのもまぁ仕方がない事だった。





<終>