桂は万事屋へと続く階段を昇る足を止めて、ふと上方を見上げた。
夕暮れの近づく空に、綿菓子のような入道雲が広がっている。
空の色を透かした真っ白な雲に、最近多かった夕立も今日は来ることは無さそうだと思う。
ややあって、二階に架かっている『万事屋銀ちゃん』の看板越し、音を立てて玄関の引き戸が開くのが見えた。
中からいつもの聞き慣れた賑やかしい声が聞こえてきて、それに複数の足音が加わる。
桂が数歩、踊り場まで昇ったところで、二階から降りてくる人物が見えた。
「桂様」
先頭になって降りてきたのはスナックお登勢のカラクリ家政婦たまで、桂に気付くと足を止めた。
その後ろから、新八と神楽も顔を出す。
「あ、桂さん。銀さんに用事ですか?」
銀さんならもうすぐ来ますけど、と新八が二階を振り返る。
「いや、用というほどの事では」
その横をすり抜けて、タタタ、と足音も軽く神楽が階段を駆け下りてくる。
「ちょうどいいからヅラも来ればいいアル!」
「リーダー?」
手を引かれながら来るって何処へ?と思っていると、上から声が降ってきた。
「ヅラァ?」
「ヅラじゃない、桂だ」
二階の手すり越しに、銀時がこちらを見下ろしている。
「出かけるのか?皆そろって」
「いや、下」
「下?」
肩越しに桂は階下を振り返る。
その間にとんとんと、三者三様の足音は近づいてくる。
「今日は七夕ですから、お登勢様の所で笹の葉を飾るのです」
その飾り付けを手伝っていただこうと思いましてお呼びしたのです、とたまが説明してくれる。
それを聞きながら、神楽に引っ張られて桂は登ってきたばかりの階段を引き返す。
そういば、商店街などでも笹を立てかけて色とりどりの短冊がかかっていたな、と桂は思い出した。
七夕の飾りつけは、確かに子供向けの仕事だと思う。
けれど、桂自身はスナックお登勢には客として訪れたことしかない。
どう考えても今は開店前で、ためらう桂に、小さいことに拘ってんじゃネーよと神楽は気にせず引っ張っていく。
神楽に続いて店に入った桂をお登勢は覚えていたようで、あぁ久しぶりだねちょうどいいからアンタも書いとくれと招き入れた。
それにほっとしつつ、店内を見渡すとカウンターの上には、桂の背丈以上にありそうな青々とした笹が寝かせてあった。
「立派な笹だろう。今日来てくれたお客にも短冊を書いてもらおうかと思ってるんだけどねぇ、それまで何にも無いのも寂しいから飾りつけを頼んだんだのさ」
そう言ったお登勢の隣では猫耳のホステスがパチンパチンと折り紙を三つに切って色とりどりの短冊を作っていた。
よく見れば、お登勢は半紙で紙縒りを作っているらしい。
「よっしゃ、これ書きゃいいんだな」
後から入ってきた銀時が、短冊の把とペンを掴み取る。
「おい、お前らこれ書け。何でもいいから」
「おいぃ何でもよくはねーよ!七夕だから!願い事を書くもんだからそれ!」
いい加減な銀時にお登勢が釘を刺す。
「銀ちゃん、七夕って何アルか?」
「あん?何かむりやり分かれさせられたダメ夫婦の話だよ」
「適当すぎるぞ銀時」
「そうですよ。神楽ちゃん七夕っていうのは織姫と彦星がね……」
新八が神楽に七夕の話を説明している間に、キャサリンは桂に短冊作りを任せてタバコを吸い始めた。
サボってるんじゃないよ!とお登勢の怒号が飛ぶ。
作業を引き継いで折り紙にハサミを入れながら桂は短冊を書く銀時の手元を覗き込んだ。
それはある意味予想通りで、
「パチンコ必勝……」
銀時、七夕は本来芸事の上達を願うのだぞ、桂がそう言うと、知ってるようっせーなと言って銀時は次の短冊を手に取る。
なにせ、昔七夕の時期に同じように桂に言われたことを覚えているからだ。
まったく、子供の頃から桂の口うるさいのは変わらない。
そう思って、銀時は何度も同じことを繰り返しているのはお互い様かと気が付いた。
「パチンコ上達」
「貴様パチンコに頼るな!働け!」
「んだよ、芸じゃねーか。ちゃんと上達って書いてるし」
「まったく、貴様は」
呆れたように桂が唇を引き結ぶ。
「新八君を見習え。剣術上達、道場復興、……寺門通レコード大勝。……ほら、きちんと芸だろうが」
「嘘付け、最後のは絶対違うだろ」
「ヅラ、私もできたアルヨ!」
「どれ、……ごはんですよ、卵かけご飯、お茶漬け。リーダー、今日の献立じゃないんだから。というか、炭水化物ばかりで体に悪い」
「そういうお前は何作ってんの?」
そう言って銀時が桂の手元を覗き込む。
短冊があるていど溜まったので、桂は折り紙で星を切り抜いたりして七夕飾りを作っていた。
白い折り紙を半分に折って、ハサミで繰り抜いて形を作っていく。
広げると、
「エリザベスだ」
「何でお前そういう変なのだけ作れんの?」
白い紙は全体のシルエットだけじゃなくて、嘴や瞳まで影絵作品のように切り抜いて再現されている。
「愛のなせる技だな」
自信満々に言う桂の様子に、銀時は何だか腹がたってくる。
「あぁそう……ところで何コレ?」
銀時が、切り込みが無数に入った真四角のままの青い折り紙を摘み上げる。
「天の川だ」
「天の川……」
どう見ても、切り刻まれたただの紙だった。
天の川はもっと、網の様に長く伸びるもののはずである。
桂もそれを見て首をひねる。
「おかしい、なんかこんな感じで切り込みをたくさん入れたら、伸びて天の川になる筈なのだが」
なぜエリザベスは作れてこんな簡単なものが作れないのか。
基本が不器用な桂は、しかし自分の興味のあるものだけはなぜか人一倍器用にやってのける。
極端なのは昔からだった。
とはいえ、やはり銀時が不思議に思っていると、桂が今度はオレンジ色の折り紙に手を伸ばす。
「なぁ、銀時。提灯はどうやって作るんだったか」
折り紙を広げて、真剣な表情で縦に横に無駄な折り目をつけていく。
その顔は昔からちっとも変わらない。
そう思って、自分の中に湧いた郷愁をごまかすように銀時は桂から折り紙を奪い取った。