「銀ちゃん外、マスコミがいっぱいアルヨ」 神楽が昼間だというのにカーテンの閉じた万事屋の窓から外を見下ろした。道沿いにテレビ局のモノと思われるバンが点々と停まっており、カメラを構えた男やマイクを手に持ったアナウンサーらしき女がこちらを見上げている。テレビを消しても、万事屋を遠巻きに取り囲んでいる取材陣が消えることはない。 忘年会から3日、銀時はまともに外に出ていない。銀時の行為は不祥事としてスポーツ誌やワイドショーで大々的に取り上げられていた。 「みんな大げさネ、男は若いうちに火遊びしてるくらいで丁度いいアル。でないと大人になってからタチの悪い女に騙されるってマミーも言ってたネ」 「いやこれもうすでに火遊びどころか、全身大やけどレベルだよ神楽ちゃん」 新八は神楽が隙間を開けたカーテンをピッチリと閉め直して、今朝ポストから取ってきた手紙を確認する。ほとんどがテレビ局や新聞社からの取材依頼だった。何を嗅ぎつけたのか胡散臭い弁護士からの手紙もある。 「あ、これ神楽ちゃん宛だよ。電報なんて今どき珍しいね」 「パピーからアル!」 まるで追い回されているような気がする取材依頼の手紙の中に、知り合いからのものを見つけてほっとする。 「なんて書いてあるの?」 「えーっと、<神楽ちゃん、今すぐそんな野獣の檻から出なさい。お父さんすぐに迎えに行くから>だって」 「ちょっ、俺の不祥事って宇宙まで知れ渡ってんの!?」 勘弁してくれよと銀時が嘆く。昨日に比べればだいぶ少なくなったものの、今日も新八は万事屋へ出勤してくる途中ビデオカメラとマイクを持ったリポーターに囲まれてしまった。 銀時の不祥事が報道されてからというもの、新八は街を歩くときはサングラスを手放せない。 「心配しなくても誰もてめぇの存在なんて気づかねぇよ」 「そうアル、グラサンなんてかけてたら新八じゃないネ。マダオとキャラがかぶるアル」 新八が問われたのはズバリ坂田銀時の女性関係について、だ。しかし実際は聞かれたところで答えられることなんてなかった。 銀時は不祥事の内容を未だはっきりと口にはしていない。本当に何かあったのか、あったとしたら何があったのか、こんなに近いところにいて教えてもらえないのはもどかしくてたまらないが、事が事だけに銀時にもお妙にも確かめられずにいる。真実を知るのは当事者達だけだった。 新八や神楽にできるのは、拗れてしまった人間関係がまた元通りになると信じることだけだ。 とはいえ銀時自身こう連日マスコミに囲まれていては身動きもとれない。せっかく入っていた数少ない依頼も新八と神楽が受けられるもの以外はキャンセルせざるを得なかった。たいていは常連からの依頼だったので、大変だねぇなんて笑ってくれたものだが、いつまでもこの状況が続くのは困る。二億どころか日々の生活費すら出せなくなる、と暗い未来を想像して途方に暮れていたところで、玄関の呼び鈴が鳴った。その音にビクリと肩を震わせ、三人で顔を見合わせる。 「また報道陣ですかね?」 しかしいつもならここで「坂田さん、大江戸新聞のものですが」などという不躾な声が聞こえるものだが、今回は耳をすましていても何も聞こえてこない。不審に思い、おそるおそる玄関を見に行ってみると、玄関のすりガラスの向こうに見覚えのある大きな丸いシルエットが映っていて、新八は大急ぎで鍵を開けた。 「エリザベス!」 新八はエリザベスを中に招き入れ、再び隙間なく引き戸を閉める。 『桂さんに頼まれまして』 これを、とエリザベスは持っていたおつかい籠から白い布の塊を取り出した。畳んであった布はかなり大きく、広げるとどこかで見た大きな目と黄色いくちばしがついている。どこかでというか、今まさに隣に立っている。それは以前桂が被っていたようなエリザベスの着ぐるみだった。 「なるほどこれに入ったらマスコミに気づかれずに外に出られる!さすが桂さん!銀さん、エリザベス、いやエリザベス先輩がいいもの持ってきてくれましたよ!」 新八は中に向けて叫んで、エリザベスと一緒に居間に戻るとさっそく銀時にエリザベスの着ぐるみを渡す。 「これに入れって?」 「うわーいいな、銀ちゃん私にも貸してヨ」 神楽は銀時の手から着ぐるみを奪うと、早速自分で被ってみている。裾を引きずって歩く姿は、エリザベスと並ぶとまるで親子のようだ。 しかし銀時の方は、せっかく外に出る手立てができたというのに相変わらず浮かない顔をしている。 「だって、どんな顔して会いに行けっての?こんなもん被ってたらしばかれんじゃね?」 「そんなの着いたら脱げばいいじゃないですか」 「そうだけど」 銀時の気は進まない。同じベッドで目覚めた時(あぁ全く嫌な表現だ)酸いも甘いも噛み分けつくしたようなお登勢でさえあの反応だったのだ。生娘達といったいどんな顔で会えというのか。 「そんなこと自分で考えてください。きっとみんな、話せばわかってくれますよ。僕もうこんな生活疲れましたから、さっさと話しつけてきてください」 そう言われては、銀時もいつまでも駄々をこねているわけにもいかない。さぁ早く、と新八に急かされて、覚悟を決めてエリザベスを被ると銀時は久しぶりに外に出た。 しかしマスコミに気づかれず外には出てこれたものの、いざとなったら五人の女性達誰の所へ行くのもやはり気が重く、結局銀時の足が向いたのは桂の住居だった。 そこも電柱の陰などに記者が張っており、通りかかる銀時をジロジロと見てはいるものの誰も近付いてはこない。彼らからはエリザベスが出かけて行き、エリザベスが帰ってきたという風に見えているはずだ。 自分の家なのにチャイムを押すのもおかしいかと思い、無言で玄関を開けて中に入ると、その音を聞きつけて奥から桂が出迎えに来てくれた。 「おかえりエリザベス、早かったな。銀時は上手く外に出られたか?」 「おかげさまで」 ばさりと着ぐるみを脱いだ銀時に、桂が目を見張る。 「……貴様、何しに来た」 こんなところに来ている場合ではないだろう、と桂が眉を顰めるのに、いや、まぁそうなんだけどと銀時は口ごもって目を逸らす。さすがに女の子のところに行くのが気まずくて逃げてきたは言えなかったが、桂の目はそんな銀時の心の内まで見透かしているようだった。 ふと、そういえばこいつはどこまで知っているんだろうと思う。テレビは不祥事だと大げさに報道していたが、銀時自身も記憶が無いのでその報道のどこまでが真実か分からない。ご親切に身請け金の心配までしてくれていた新聞もあったが、そんな心配するくらいならば家の周りをうろつくのをやめてほしい。そのせいでこっちは仕事ができず金がないのだ。まぁ金が無いのはいつものことだけど……。 「あ、そうだヅラ金貸して」 二億、と現実味のない金額を口にする。自分でも笑うしかない銀時に、桂はますます眉間のしわを深め、諦めたように溜息をつくと懐に手を入れて、そこから小さな紙を一枚取り出した。 「ほら」 渡されたお札ほどの大きさの紙は小切手と書いてあって、その額面に並ぶゼロの数を数えて銀時は途中で二回失敗して数えなおした。一番最初は2で始まって、その後にゼロが8個。二億円だ。 「柳生家も党首を傷ものにされたとあっては只では済まぬかもしれぬが、後は自分で何とかしろ」 「おい、ヅラこれ……」 こんな紙切れ一枚に二億円の価値があるなんて俄かには信じられない。第一そんな金が、こんな質素な家に住んでいる人間のもとから出てくることが何よりおかしい。そう言えば桂が自嘲するように表情を歪める。 「貴様と同じ方法だ。さすがに6人では無理だったがな」 まさか、という思いで桂を見るが、黒々とした瞳からは波の立たぬ湖のようで何の感情も映してはいなかった。ぞっとしてその瞬間、銀時は足元が崩れるような錯覚がした。 あのホテルで目が覚めてから、何度も夢であってほしいと願ったが、今ほど全てが夢であってほしいと切望したことはない。桂が暗にほのめかした行為に、頭が真っ白になる。銀時の中で自らの犯した罪に対する自責と、そしてこの期に及んで桂に対して身勝手な怒りと独占欲が湧きあがる。 「なんで、そんな事、」 「うるさい」 その金はやるから二度と俺の前に姿を見せるな、と言う桂の瞳は、さっきと一転して怒りと悲しみとほかの様々な感情がぐちゃぐちゃに混じり合って、堰をきってあふれそうなのをギリギリで堪えているように見えた。 銀時はここに来た自分の甘えを後悔する。桂の言うとおり、こんなところに来ている場合ではない。銀時は棒のように突っ立ったままの自分の足を無理やりに動かして、桂に背を向ける。頭の中は未だにガンガンと響いて何も考えられないが、ここにいるべきでないことは分かる。重い足を引きずるように、そこから離れようとして、 「嘘だ」 後ろから袖を引かれて銀時は足を止めた。 「ヅラ……」 「嘘だ、貴様が誰を娶ろうと知るものか」 銀時の白い袖を、桂の細い指が掴んでいた。俯いた顔は黒髪に隠されて見えない。本当にバカだ、自分はそれを何より愛おしいと思ってきたし、これからだってそうだ。絶対に。 その震える手をもう一度握るために、銀時は再び外へ飛び出した。 カメラのフラッシュが光る―――。 * * * はっと、目を開けた瞬間眼球に眩しい白が刺さって、銀時は反射的に目をつむった。そして、再びおそるおそる目を開くと、障子を透かして薄暗い部屋に外の光が(おそらくは朝日が)差し込んできているのだと分かった。 眩しい、と光から顔を背けるように寝がえりを打つ。次に目に映ったのは、文机が一つあるだけの見覚えのある和室だった。 そして気がついた。別にわざわざ朝日の直撃を顔に受けるような体制で寝ていたわけではないらしい。頭の下には枕も敷布団も無く、少々傷んでささくれ立った畳の感触があるだけで、いったいどんな寝像をしていたのか布団のぬくもりの恩恵に預かっているのは腰から下だけだった。 「夢……」 確かめるように口に出した言葉は掠れていて、とたんに寝ぼけていた五感が働きだし寒さが襲ってくる。銀時はのろのろと這って布団に戻り、耳まで掛け布団に潜ると早鐘を打つような自分の心臓の音が響いてきた。 さっきまで放り込まれていたリアルな夢の世界はみるみる内に薄らいで、とても嫌な夢だったという感覚だけを強烈に残したまま、詳細はぼやけてふやけて散りじりになってどこかへ行ってしまう。 そんな感覚を頭の片隅で感じながら、それと入れ替わりに思い出した現実を手繰り寄せる。 ここは自分に制裁を与えんとする女たちと住む長屋ではなく、そして自分は六股だなどと大そうな事をやらかしたわけでもなかったのだ、結局。 だからマスコミに囲まれたりもしていないし、二億の借金をこの家の家主に肩代わりしてもらう必要もない。 「ドッキリの上に、夢落ちって……」 ひどいオチだ。溜息をついて、ふと目をやった先にたたまれたもうひと組の布団があった。昨日確かに並んで敷いてあったはずの隣の布団は、すでに綺麗に三つ折りに畳んで部屋の隅に積んである。敷いただけで結局出番の無かったそれ。台所からは微かにみそ汁の匂いが漂ってきて銀時の鼻孔をくすぐり、胸に溜まっていた焦燥感をかき消していく。 そして代わりに、フワフワとした温かいもので満たされていくような、今さら気恥しいような気持ちになる。 眠気などすっかり飛んでしまっているのだが、きっともうすぐ自分を起こしにくる声が聞こえるはず、そんなことを甘く夢見て銀時はまどろむように目を閉じた。 |