誰かに呼ばれた気がして目が覚めた。
目の前には見慣れた寝顔があって、よだれを垂らしながらだらしなく眠る太平楽な寝顔に自然とこちらの頬も緩んでくる。
わずかに開いた口ですうすうと寝息をたてるのをぼんやりと眺めていると、呑気な寝顔がふいに眉間に皺を寄せたかと思うとブェックシュンと盛大なくしゃみをした。しかしそれでも目は覚めないらしく、 鼻をすするような仕草をしてモゾモゾと寒そうに体を丸めて縮こまる。
それもそのはず、目の前でパンツ一丁で眠っている銀時の姿に、桂はいい年してハダカで寝るなどだらしがないと嘆息した。
確かに寝る時は桂も暑いと思ったが、裸では寝ているうちに体温が下がって風邪をひいてしまう。そう言うのも聞かず、銀時はさっさと布団にくるまって寝る体制に入ってしまった。 腹を出して寝るどころではない銀時に、このまま風邪をひかれては敵わない。そう思っている間に銀時がもう一つハックシュンと大きなクシャミをした。
「まったく、面倒くさがってハダカで寝るからだ」
一人苦笑して、桂は銀時が蹴飛ばした布団をかけ直してやろうとし、はたとそれが見当たらないことに気がついた。
「あれ?」
まだ寝起きの半分ぼんやりした思考で考えて、仕方がないから自分の布団を分けてやろうかと思えば桂は自分も布団を被っていないことに気がついた。
「布団はどこだ?ていうか、ここはどこだ?」
見回せばまっ暗い闇。夜の闇にしても暗すぎるそこは、床も壁も何もかも一面黒く塗りつぶされて見えないのに、なぜか銀時と桂二人の姿だけがハッキリと見えている。
桂は己の姿を振り返って、自分が寝巻を着ていることに少しだけホッとした。
「……どういうことだ?」
わけが分からず桂が首を捻っていると、唐突にどこからともなく声が聞こえてきた。
―目覚めよ
聞き覚えのない声が暗闇の中に響く。エコーのかかったような芝居がかった声。
「銀時!」
桂はまだ眠っている銀時の肩を揺する。何か分からないけれど、普通じゃないことが起こっているらしい。 確か万事屋にいたはずなのに、ここはどう見ても見慣れたいつもの和室では無さそうだった。
「銀時起きろ!」
「あー……?んだよ、まだ寝かせろよ」
まだ暗いじゃねーか、と何か変だと桂が起こそうと声をかけるのに、銀時が不機嫌な唸り声を上げる。
「銀時、何か変だ」
「んだよ、気のせいだよ何も変じゃねーって。お前も寝りゃあいーじゃん」
まだ寝ていたい銀時はぐずぐずと突っ伏したまま喋る。
「しかし寝るにしてもそんな格好では風邪をひく。布団が見当たらんのだ」
「大丈夫だって、もう夏だしヅラとくっついてりゃ風邪なんてひかねーよ」
だからお前もこっち来いって、と半分閉じたままの瞼で桂の方に両手を伸ばし、腰を引き寄せて自分の隣に引き込だ。 そこには敷布団さえ無かったのだけれど、大人しく隣に寝ころんだ桂に満足そうな顔をしてまた銀時が目を閉じる。するとすぐに、すう、とまた穏やかな寝息が聞こえてきた。
銀時の言うように気のせいだったのだろうか、と寝ころんだまま桂はやはり不自然な暗い空間に視線をやる。
―あの、……め、目覚めよ……
「銀時やっぱりなんか声がするぞ」
―気のせいではない。あの、起きて……
「声……?あーそれ新しい目覚ましだよ、新八がなんかオマケでもらったって言ってたわそーいや。たぶんそれ」
「そうなのか?」
その内止まるだろうからほっとこうぜ、と目を開けないまま銀時が言う。
「お前あったかくてちょうどいいわ、もっとこっち来いって」
「ん……」
体を擦り寄せるようにして桂を抱き寄せる銀時の厚い背中に腕を回した。
これでは動くのもままならない。とにかく風邪をひかぬならまぁよいか、と桂もそのまま銀時に倣って目を閉じた。
―………。


―朝よーーー!起きなさいって、もう!
あれからしばらく何も聞こえず、目覚まし時計のアラームもいつの間にか止まったてくれたと思い桂もウツラウツラまどろんでいた頃、今度はさっきまでとは違う女性の大声が響いた。
「銀時、これも目覚ましか?」
なんだかお母さんのようだが、と言う桂にさすがの銀時も目をこする。
「んーだよ、うっせぇな……」
―休みの日だからっていつまでもダラダラしてちゃダメでしょう、もう!
「銀時、この目覚ましはどうやって止めるんだ?」
「はぁ目覚まし?何言ってんのお前、どう考えても人の声だろこれ」
さっきまでと違う大声に渋々銀時が目を覚まして辺りを見回す。
「……どこここ?なんでこんな暗いの、停電?つーか、前もあったなこんなこと、つい最近……」
まっ暗い闇の中で、銀時と桂の姿だけが見えるって、これまた例のパターンじゃないのと思っていたところで、忽然ともう一人の声の主が姿を現した。
ふっくらと全体的に丸いシルエット、頭のオバちゃんパーマと顎にたくわえた白い髭。
「股宗殿!」
「……洞爺湖の母ちゃん?」
現れたのは、以前二回ほど会った洞爺湖の仙人の母親だった。
「ごめんなさいねぇ、いきなり起こしちゃって。ちょっとあなたたちに折り入ってお願いがあって、またこうして呼び出させてもらったのよ」
「はぁ……」
異空間らしきところも、すでに三度目ともなればもはや驚く気にもなれずに銀時は気の抜けた返事を返す。
「ていうか、俺パン一なんですけど」
「股宗殿、話はともかくとして何か着るものは無いか、このままでは銀時が風邪をひく」
あら私ったら、気がきかなくてごめんなさいね、これ洞君のだけどと言ってどこからともなく出してきたのはアニメの女の子が描いてあるTシャツと短パンだった。
「誰が着るかこんなオタク丸出しのTシャツ!アイツ何持ってんの!?」
仙人どころか、もう神秘性の欠片もねぇよコレ。むしろ今すぐ木刀から出ていって欲しい。
思わず銀時が叩きつけたTシャツを桂が拾う。
「着ておけ銀時、デザインがどうとか我儘を言っている場合か」
風邪をひいたらどうするのだ、とこれまた昔からお母さん並みに口煩い桂に急かされて仕方なくTシャツを身につける。どうせ桂しか見ていないのだが、それにしても酷い。
「お願いっていうのがね、あなた達にぜひ洞君のお友達になって欲しいの。ほら、学校とか行かなくなるとなかなかお友達ってでき辛いでしょう? この前の修行のアレもね、実は洞君にお友達が増えたらいいなってお父さんとも相談して、家族ぐるみのお付き合いなら洞君も緊張しないんじゃないかなってあなた達を選んだのよ。 そこから洞君のお友達の輪が広がるんじゃないかなって。さっきもあなた達に自分から声をかけてみようって言ったんだけど、やっぱり今日はそういう気分じゃないからって部屋に閉じこもっちゃって」
「さっき……?」
そんなの来た?と桂に尋ねると桂も首を傾げる。
「そういえばさっき、目覚めよ、とかなんとか声がしていたような」
「あぁ、それだわ」
思いっきり無視してしまったわけだ。
洞君の代わりに私の方からお願いしたいのと言われて、本人に会ったことのない桂は「難しい年頃というヤツなのだろう」と同情するように頷いている。
「いやどう見てもオッサンだったよ。全身タイツのいい年こいたオッサンだった」
「銀時、俺もこのあいだ股宗殿の話を聞いてな。ぜひ協力せねばと思っていた次第だ」
何を吹き込まれたのか乗り気の桂に、あんな末期のオッサンどうしようもねぇよ、面倒くさいしできたら関わり合いたくないんですけど、と銀時は諦めさせる術は無いかと考える。
「つーかご家族って、その時点で見当はずれなんですけど。ウチ誰も血とか繋がってないんで」
「あなた達万事屋は本当の家族、いえそれ以上に強い絆があるのは仙人にはお見通しです」
「ほう、さすがは仙人、よく分かっておられる、なぁ銀時」
仙人(母)の言葉に、桂が自分のことみたいに嬉しそうな顔をする。
「それにあのキャバ嬢が眼鏡の少年のお姉さんだってことも分かってます」
「あーそれで、この前いっしょに修行させられてたんだ」
フリーザ並みの必殺技を伝授されていたが、もとに戻ってよかった。ただでさえ最強なのにこれ以上強くなられてはこっちの身が持たない。
「グラサンもあなた達がいない間によく万事屋に出入りして食事したりお風呂に入ったりしてるから、まぁ家族みたいなものね」
「ちょっ、長谷川さんそんな頻繁に来てんの!?どおりで水道代が増えたとかババァに文句言われるはずだよ」
「それにその子にいたっては、その、ねぇ」
桂の方を指して、言うまでも無いでしょうと、と銀時に同意を求める。
「いや、何が言いたいのか全然分かんないですけど」
「まぁ、言わせるつもり?夫婦は血が繋がらない家族ってやつじゃない。どうせ洞君で木刀プレイも経験済みなんでしょ。刀おろしも済んでるんでしょ」
そう言ってキャッ、と両手で顔を覆って、太い指の隙間からチラリとこちらに視線を寄越すのがイラっとくる。
「するかぁぁぁ!刀おろしって何!?筆おろし的なもん!?」
「股宗殿、銀時はとっくに……」
「あらやだオバサンたらとんだ勘違い。洞君も……すっかり大人ね」
「ちょっとこれ何の話……」
イライラする銀時は蚊帳の外で、桂達はやはり子供は野山を駆け回って外で遊ばねばと相談している。
「ピクニックとかいいのではないか?くれぐれもメガドライブは持って行ってはいかんぞ、夢中になってしまうからな」
「それなら私は張り切ってお弁当作らなくちゃ。ねぇあなた、好きな食べ物ってなにかしら?」
「俺の好物は蕎麦だ」
「あら、お弁当に蕎麦は入れられないわね。伸びちゃったら美味しくないものねぇ……あ、そうだ!私美味しいお蕎麦屋さん知ってるんだけど、今度二人でどうかしら」
「ほう、それはぜひ。明日とかどうだろうか、会合が11時に終わるんだが……」
「ちょっとぉぉぉ!なんでお前ら二人で飯食いに行く話になってるわけ!」
息子はどうした!と叫ぶ銀時を桂がまぁ落ち着け、となだめる。
「銀時、聞くところによれば股宗殿は旦那さんのキャバクラ通いで苦労しているそうではないか」
「だから何!?つーかお前さっきから聞いてりゃ弁当だ蕎麦だって、お前こんなのでもいいの?」
「失礼な、こんなのって言うな人妻だぞ。プラス10点だぞ」
「髭生えててもいいのかよ!?」
「それもチャームポイントだ」
迷いも無くそう言いきる桂に、お前すげぇなと銀時は引きつつ、なんだか腹が立ってくる。
「もう修行でもデートでも勝手にすれば」
投げやりにそう言った銀時に、桂が何を怒っているんだと眉を寄せていると、それを遮るように「もう私のために争わないで!」という声が割り込んできた。
「修行なんて嘘!私なんかが教えることなんてホントは初めから何も無かったのよ」
「股宗どの……」
「え、いきなり何言ってんのこの人」
ドラマチックに涙を浮かべて盛り上がる様子に、ついて行けずに銀時はぼうっと立ち尽くす。
「私は、そう、ちょっとあなたと一緒にいたかっただけ」
「おい、初めからヅラ狙いかよ。とんでもねぇ夫婦だな、そりゃあ息子も歪むわ」
少しだけ洞爺湖の仙人に同情した。だからってどうする気もないけれど。呆れている銀時にかまわず、二人は延々とメロドラマっぽいカンジを続けている。
「分かってるの、あなたが私なんかを気にかけてくれたのは、このパーマがあったから」
他に大事な人がいることは分かってた、と切なげな眼差しで銀時の方ををチラリと見やる。
「おい、俺の髪形をテメェのオバちゃんパーマと一緒にしてんじゃねーよ」
この家族は毎回こっちをほったらかしにして勝手に盛り上がりやがる、と銀時は過去二回を振り返ってウンザリする。今回は一人だけだからまだマシなのかもしれない。
「すいません、もう帰してもらえませんか」
俺達あんまり役に立てそうにないんで、と付き合うのに疲れてきた銀時が言うと、情感たっぷりの残念そうな様子で仙人(母)が「仕方がないわね」と言ってくれた。
よかった、これで解放してもらえると内心胸をなでおろす。こんな異空間で家族問題に付き合わされるのはもう十分だ。
「最後に、仙人として洞君の代わりに言えるのはこれだけ、あなた、洞君のこと力任せに振るうばかりだけど、あんな使い方はいつか大事な人を傷つけるわ」
突然真剣な様子で語り出した仙人の言葉に、銀時は思わず少し姿勢を正す。
「はぁ、息子さんに無理させてすんません、なんか」
木刀は折られたりなんだりで、今までもう何度も買いかえている。母親としては一言言っておきたいのかと思い、それくらいの忠告は大人しく拝聴しようかと思って神妙な顔をしてみるが、しかし、そうではないのと仙人は静かに首を振る。
「あなたの戦いで洞君が傷付くのは、刀の定めですもの。そんなことはいいの、それより、もしささくれとかできたら小まめにやすりで削って手入れは欠かさないこと。 あと、使う時はローションを多めに……」
「だから使うかぁぁ!!」
そう叫んで、今度こそ銀時は自分の声で目が覚めた。
目の前には桂の寝顔。
外はもう明るかった。




<終>