気が付いたら、カウンターには白目を剥いた俺が口から蕎麦を垂らして突っ伏していた。辺りには砂糖の甘い香りとマヨネーズの酸っぱい匂いが漂っている。
「はぁぁぁぁ?なんだこれ!?」
気を失った俺の隣には黒ずくめのヤローが同じような格好で白目を剥いていて、そしてそれと全く同じ姿(ただし半透明)が自分で自分を見下ろすという不思議体験中の俺の隣に浮かんでいる。
「ちょ、何これ、もしかして魂ってやつ!?」
混乱する俺と同じように、奴も自分の透き通る掌を見つめて茫然としている。 プカプカと自分の姿を見下ろして宙に浮かんでいる俺達は、どうやら葬儀中の神楽や新八と同じことになっているらしい。
「おいおいマジかよ親父、勘弁してくれ」
突然の幽体離脱状態に焦る。ちょっ、おい親父もう充分驚いたから!元に戻してくれ、そう誰もいない厨房に向かって叫ぶと、親父は案外あっさりと俺達の前に姿を現した。
「どうだい俺の料理は?」
現れたのは相変わらず生前の面影も何もあったもんじゃないアメリカンなムキムキ姿だ。
「どーもこうもねぇよ。いや料理はいいよ、料理は」
小豆の甘さも、いつもに違わず絶妙だった。隣に浮かぶ土方も腕を組んでそれに同意する。
「そうだな、親父のマヨネ丼は世界一だ」
しかし、料理はよくとも今のこの状況は無い。元に戻してくれと二人で猛抗議すると、親父は強面のまま、サングラスなので表情も見えないのにどこか残念そうな雰囲気を漂わせる。
「いやぁアンタらには葬儀のお礼にとっておきの愉快な体験をさせてやろうと思ったんだが、さすがにあれだけやった後じゃあインパクト低かったか」 「いやあの蕎麦も、魂抜かれる体験も十分インパクトあるから」
愉快じゃねーけどなと言う俺の言葉に土方も頷く。
「人を楽しませるのも程々にしてアンタもさっさと成仏することだ。いつまでもこんなとこにいても、奥さんに心配かけるだけだぜ」
俺達の言葉に、親父が観念したように苦笑して「そうだなぁ」と頭をかく。
そうして、見た目通りの剛力かそれとも魂ってのは練った小麦粉みたいな固さしかないのか、親父が大きな掌でムギュっとゴムボールでも掴むみたいに俺達の頭をわし掴みにした。
「長々と付き合わせちまって悪かったな」
聞こえてくる声からは懐かしい面影が浮かぶ。今日は一日とんでもない目に合わされたが、それでも最後だと思うと付き合わされるのも悪いと思えない。
「いままで美味い飯ありがとうな、親父」
あの蕎麦の続きは食べられそうにないが、俺の中で親父の店はこれからもずっと一番の定食屋だ。そう思ったのが通じたかのように、こっちこそ楽しい葬儀にしてくれてありがとうよ、と穏やかな声が頭の中に響く。その声と共に俺はポイと放り投げられて、そのままどこかへ吸い込まれるような感覚がした。



     *  *  *



『プリッキュアプリッキュア〜』
 耳元で女の歌声が鳴り響いた。眠っていた神経を刺激する高音にイライラとしながら無視を決め込んでいたものの、音楽はいっこうに止む気配はない。
「あぁもう、うっせぇ!」
せっかく気持ちよく寝ていた所を邪魔する騒がしい歌声に、目を閉じたまま俺は音の発信源を掴んで思い切りぶん投げた。ヒュンと飛んで行った小さな塊はすぐにどこかにぶつかって落下したらしくガン、ゴゴンという音がして音が止む。いつも使っている目覚ましは何度も同じ憂き目に合いながらも毎日健気に時間を刻んでいるが、アレは昔懐かしいジリリリリというベルを鳴らすだけで、歌ったりはしない。聞き覚えのない音を不審に思いながら眠い目をこする。
「あっちぃ…」
目が覚めたとたん暑さが襲ってきた。うんざりしながら寝がえりを打って、なんだったんだ今のはとぼんやりと考える。新しい目覚ましなんて買ったっけ?そう思っている内にペタペタと近づいてくる足音が聞こえて、そばで止まったかと思うとずず、と襖が開く音。
「なんだ、いるじゃねぇですか」
「ん……?」
「土方さん、山崎から連絡が取れないって俺の携帯に電話があったんですけど……あ、」
 ぎしぎしと枕元の畳を踏みならして、部屋に入って来た人物が床から何かを拾い上げる。誰だか知らないが寝ているんだからそっとしておいて欲しい。っていうかこの声誰だっけ、新八?そんなことを半分寝たままの頭でぐずぐずと考えていると、男の手の中で再びさっきの音楽が鳴り始めた。
『プリッ……キュアプリッ…キュア』
「はい、クソ土方の携帯でさぁ……」
 さっきより音痴になった歌を止めて、携帯を耳に当てていた男が「壊れてらぁ」と呟いてしゃがむと、俺の肩を揺する。
「起きてくだせぇ。なんか山崎が至急連絡取りたいそうなんですけど」
「はぁ?って……総一郎君じゃん、なんでテメェがここにいんの?不法侵入ですかこのヤロー」
 どうして俺が真選組の一番隊隊長に起こされなきゃならないのか。モーニングコールなら綺麗なお姉さんにしてよ、と言うのに沖田が取り合わず肩をすくめる。
いいからさっさと起きろと急かされて、渋々身を起こすと布団の上に胡坐をかいた。そしてふと見下ろした拍子に、自分の格好が目に入って違和感を覚える。どうも寝苦しいと思ったら、いつもの寝巻でなく黒いパンツに白いシャツを身につけている。首元に手をやると、案の定上までしっかりボタンが閉まっていたのを二つ外して一息ついた。
どうしてこんな窮屈な格好で寝ていたのだろうか。思い出そうとしても眠る前の記憶は朧げで判然としない。こういう前後不覚の状況は、特に飲み過ぎた翌朝に陥りがちで、そういえば二日酔いのように頭が痛いような気がしてくる。
「……寝ぼけてるんですか?昨日、定食屋で潰れてるから引きとってくれって屯所に連絡がきたんですよ。わざわざ近藤さんと俺で迎えに行ったんですから」
そんなに寝たいならいっそ永遠に寝てますか、いつでも手伝いますぜと沖田が眠る前の経緯を説明してくれる。しかし沖田の説明を聞いてなお、やはり疑問は残る。
どうして自分が屯所に連れて帰られる必要があるのか。定食屋から連れ帰るなら一緒に居た土方の方だろう。
ワケわかんねェと頭を悩ませる俺のそばで、沖田は隊服のポケットから出した自分の携帯を操作する。
「山崎?土方さんの携帯壊れてるみたいで、……あぁ普通に寝てた」
電話で喋っていた沖田が、しばらくして携帯を無言でこちらに差し出す。それで話せということだろう。その頃には、薄々何かがおかしいことに気づいていた。沖田が俺を、土方と呼ぶ。
「えぇと、もしもし?」
「あ、副長?すいません攘夷浪士の見張りの件なんですけど……」
俺の声を聞いた途端、電話の向こうで山崎が話し始める。見張っていた攘夷浪士のアジトで数日もすれば大きな動きがありそうだとか、ナントカ党の幹部誰某だとか、聞いたことのない固有名詞に頭痛がさらにひどくなる気がした。耐えきれず俺はその報告を途中で遮る。
「えっと山崎君?それ俺が聞いても意味ないと思う」
「副長?」
 電話の向こうから、俺の言葉を怪訝そうに聞き返す声。そんな声を出されても、だって仕方がない。自然と溜息がもれる。
「だって俺副長じゃねぇもん」





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