桂が言うには野球部のボールが飛んできて俺の、あくまで今現在の銀時の意志で操ることができるという意味で俺の、頭に直撃したらしい。
放課後、国語課準備室へ持ち込みたい書類があるからと銀八と、もはや手伝うのが習慣となっている感じの桂が校舎内の廊下を歩いていた。その時に野球部の軌道を逸れた硬球が窓ガラスをぶち破ったらしい。あるのかよそんな事がと思うが、事実気を失う前に一瞬だけ見えた廊下は一面ガラスの海だったような気がする。目を刺した光は太陽に反射した窓ガラスの破片だったのだろう。あぁ、今度はこちら側の俺が原因だったのかなんて思いながら、考えるのをやめた。いつかのように頭にできたたんこぶを撫でる。
そんなことが分かったところで、頭の内と外両方から痛みを訴えられている銀時にとっては何の役にも立たない。どんなカラクリになっていようと夢は夢だ。早く、この悪夢のリセットボタンがあるならば誰かに押してもらいたかった。


それもこれも、と前を歩く銀時より低い位置にある頭を眺めた。自分の重そうなバッグと一緒に、銀時がベッドで休んでいる間に職員室でまとめてきた荷物も持ってくれている。桂を見たきり言葉を失った銀時の様子に、心配して呼びに行った養護教諭と一緒になって、頭を打ったんだから万が一のことがあってはと医者に行かせようとするのを断って、自宅療養ということにしてもらった。たかがたんこぶ一つ、医者に見せるまでもない。むしろ医者に見せて付けられる病名としては、脳内出血云々よりも記憶喪失の方が濃厚だった。本当に忘れられたらそれもいいのかもしれないが、覚えているのだから混乱は仕方ない。
学校のどこかに置いてあるはずの原付を使わず徒歩で帰ると言いだした銀時に、桂は不信がるでもなく運転中に気分悪くなったら危ないですもんねと言って、そして心配だから送っていきますと申し出た。すでに銀時が忘れかけた家路を桂は迷うそぶりもなく辿る。もしかしたらこうして二人で歩くのに慣れているのかもしれない。
何を話していいのかも分らないので黙って桂の後について歩いていると、桂は時折こちらを気にするように振り返った。まさか少し前までとは中身が入れ変わってしまったなんて、きっと思いつきもしないだろう。
そうこうしている内に、見覚えのある懐かしいアパートに着いてしまった。まさか再びここを訪れることがあるなんて思ってもみなかったのに。
桂は慣れた様子で坂田銀八と書かれた郵便受けを開けて、チラシと一緒に請求書の類を引っ張り出した。部屋に上がると、前見た時とそう変わっていない雑然とした部屋のローテーブルに郵便物を置いた。
「何事もなくてよかったですね」
何事もないわけがない、ありすぎて困っている。しかしそうは思っても言えるものでもない。どうやら今回、悶々と悩みを抱えているのは自分だけのようなのだ。
「どうしました?」
黙りこんだ銀時に、気分でも悪いんですかと桂が気遣うように首を傾げる。
「いや」
どこから説明すればいいのかわからないし、そもそも信じてもらえるとも思えないので銀時は適当に言葉を濁す。
気になることといえば、桂は当然のように部屋へ上がり込んで、郵便物の世話までしてくれているが、その世話の焼き方は一教師と生徒とは思えないほどに甲斐甲斐しい。自分と桂の関係は何なのか気にはなるものの、それこそ記憶喪失になってしまう。
ただの教師と生徒じゃないとして、じゃあ何かと言われると答えにつまってしまう。銀時は考えても分からない謎をひとまず頭から振り払うことにした。
「腹減ったな、……ってもう7時前か」
頭に浮かんだことを誤魔化すように言うと桂が何か作りましょうか、と尋ねた。
「お前が?」
「だって先生、なんか調子悪そうですから」
そう言う桂からは、心配ももちろんあるのだろうが、世話を焼けるのが嬉しいという隠しきれない感情が伝わってくる。それは時折神楽が見せるような、そしてもっと前は出会ったころの桂が自分に見せたような表情だった。
任せてくださいと言った割には桂の腕前は散々で、野菜の皮を剥いている時点で銀時は桂から包丁を取り上げると桂を代わりに炊飯係に任命した。おかずは銀時担当で、味噌汁と有り合わせの肉入り野菜炒めもどきが夕食になった。炊飯器の使い方はどこの家も大して変わりはしないだろうが、桂は二人分の茶碗や箸の在りかを迷いなく探し当てた。
それに気がついて、黙って一人でこそばゆい気分になる。そういえばこの部屋には確か布団が二組あったはずで、歯ブラシはどうだったっけと銀時は薄らいだ記憶を辿った。




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